国際協力とは何か

「貧困は誰かによって作られるものかもしれません。」

論文を書いた時、先生が書いてくださったそのコメントが、ずっと頭の中に残っていた。


弊団体が支援先としているのは、カンボジアだ。

2020年の春もカンボジアを訪れた。
ひどい排気ガス、目まぐるしいバイクの数、見ているだけで酔ってしまいそうになる。一年間来ないだけでこんなにも街は変わってしまうものなのか。経済発展が著しいこの国からしたら、きっと日本はつまらない国だろうな。


気温は常に35度を超える。
「今日は暑いなー。」と思って気温を見てみると、40度。ということがざらにある。だけどジメッとした嫌な暑さじゃない。


私が初めてこの国を訪れた時から、一年半が経つ。この国は明らかに経済発展を遂げていた。プノンペン市街は高級マンションの建設が進んでいる。日本の企業も多く進出していて、AEON1号店に続き2号店がオープンしたかと思えば、また3号店がオープンするみたいだ。


キリングフィールドへ向かう途中、新しい住宅地を目にした。ガイドに聞けば、「値段は150万ドルだよ。」とか。ビジネスを武器にした「成功者」は、この国で怖いもの無しなんだろうな。

 

パブストリートに行くと、物乞いする女の子の姿が目に入った。
手を合わせて、“1dollar”この言葉だけを繰り返す。あげるか、あげないか心の中で葛藤して、いつも目を逸らす。
だって、この子にあげても貧困が解決できるわけじゃないし。
ストリートチルドレンが、実は大人に雇われている子だって話も聞いたし。
物乞いに加担することは貧困のループに繋がるでしょ?


「国際協力」とか「援助」とか 簡単に言うけどそうじゃ無いんだと思う。

 

たまに、「自分たちが渡航するお金を全額、寄付したらいいじゃない?」
とお節介にも提案してくれる人がいるが、それは国際協力と言えるのだろうか。

お金が解決する問題だったら、MDGsが終わる頃には解決していたはずだし。

 

私たちの活動は、
カンボジアの地方の孤児院で、20数人の中高生の女の子に女子保健教育をすること。
客観的にも、自分でも微力だと思う。

 

でも、それでも、この団体の活動意義はある。

施設の女の子たちが生理不順であることを明らかにしたり、
思春期特有の身体と心のケアをしたり。

支援先のスタッフさんからは、
「女の子たちが身体の変化に関する悩みを打ち明けてくれるようになった。」と聞いた。

 

「国際協力」という正解の無い活動の中で、私は考え続けることを学んだ。

 

「本当に、私たちの活動って意味があるのだろうか。」


そう思った時は 立ち止まって、考えて また先に進めるような団体であり続けられると嬉しい。