Step to Peaceは海外で十分な家に住めていない人たちのために学生が家を建てに行くボランティアを運営しています。
このボランティアをやっていると「学生が行っても意味ない」「そんなにお金をかけて行く意味がわからない」「偽善にしか思えない」「日本でも困っている人がいて日本でもできることがあるのに、なぜ海外に行くの?」という言葉をいただくことが結構多いです。
そういう声があることも理解できます。実際私もボランティアに行ってみて、現地の大工さんと一緒に作業をやっていると、明らかに現地の大工さんの方が仕事が早いし仕上がりも綺麗です。私たちがやっても、できるのが遅かったり、何度もやり直さなければならなかったり、時には大工さんにやり直してもらったり…。「全部大工さんだけでやった方が早いよね…」と思うこともあります。
しかし、この企画は全て学生が自費で行っています。航空券、滞在費の他に、企画の運営費、建築資材に使われる寄付金も出します。学生にとって決して安い金額ではありません。寄付金は私の生活費で言えば1ヶ月の家賃払えます。私は週4くらいで3〜4時間のバイトをしていますが、1ヶ月のバイト代くらいです(もっと頑張っていっぱい稼ぐ学生もいます)。建築資材も私たちから少しは出ているし、大工さんをもっと雇うにしてもお金が必要になるので、学生がお手伝いをして、その経験と引き換えにお金を出すものだと思っています。少なくともレンガ運びとかセメントをこねるなどの技術を必要としない力仕事くらいは役に立っていると思います。
「お金をかける意味」。私はこのボランティアにはお金を出して行く意味があると思います。もちろん、旅行で海外に行っても、ある程度現地の様子は見られると思います。しかしこのボランティアは、観光地だけでなく、もっと田舎の地域に行って、家を建てることを通して現地の人に話を聞いたり、暮らしを直に見ることができます。それだけでなく、日本全国にお友達ができて、自分の夢や人生や考え方を共有して、視野が広がります。
「偽善」。このトピックは、この前STPのミーティングにも出ました。ボランティアをしているとこの言葉にはよく出会います。まず、偽善ってどういうことなんでしょうか。
本心からではない、うわべだけの善行。
特に宗教や道徳的信念に関し、真の性格・性向を隠す一方で、美徳または善といった見せかけの外観をつくることを言う。したがって、一般的な意味において偽善には「不誠実なそらとぼけ」、「見せかけの振りをすること」、または「まやかし」が含まれることがある。
ネットで「偽善」と調べると、このように出てきます。人それぞれこのボランティアに参加する理由はいろいろあって、「海外に行ってみたい」「就活の時に役立てたい」「純粋にボランティアをやってみたい」「全国に友達が欲しい」「新しいことに挑戦してみたい」「ただ海外に行くのではなく、学びのあるものにしたい」などなど。必ずしも「人助け」や「ボランティア」を目的にしているわけではありません。でも、理由は何であれ、少しでも人の役に立っているなら、偽善とは言わないのではないでしょうか。十分な家に住めず、困っている人がいて、私たちが出したお金が使われて家が建つ。私に「ボランティア活動は偽善だ」と言ってきた人たちは、では何か困っている人のために何かしているのかと言うと、実際は何もしていませんでした。偽善だと言って何も行動しないよりは微力ながらも人の役に立ったほうが良いと思います。
「日本ではなく、なぜ海外でボランティアをするのか」。私が初めてこのボランティアに参加したのは「海外に行きたい」というのと「ボランティアをやりたい」という理由からでした。ボランティアは日本でもできるけど、「海外に行きたかった」のです。ボランティアの場所を、日本か海外という選択肢の中から海外を取った、それだけのことです。自分が活動する場所を選ぶのはいけないことなのでしょうか。世界中に困っている人たちがいて、それを全部解決することはできないけど、誰かがそこに目を向けて解決しようとすることで困っている人たちは救われていくんだと思います。そのような支援を必要としている場所がたくさんあるからこそ、自分が活動する場所を選んでも良いと思うんです。
これが私が考えたボランティアの意味です。
次の記事はこのボランティアと私の夢をリンクさせて書きます✌
Step to Peace 2020
静岡文化芸術大学 文化政策学部 国際文化学科2年
しあり
https://steptopeacejp.jimdofree.com/