前回の記事で、私が考える私たちの活動の意味について書きました。私の夢は「発展途上国で働くこと」です。ボランティアの話や、私の夢について話すと、前の記事でも書いたように「偽善」とか「海外に行くより先に、日本でやるべきことがあるでしょう」と言う人がいます。
豊かな生活を送っている人と支援を必要としている人が世界中にいて、その中で、何もしない人と、何かしたい人がいて、それでも何かしたい人だけでは解決できない莫大な量の問題がある。私たちは何かしたい人の側にいます。「偽善」だとか「海外に行く前に日本でできることをやりなさい」だとか言ってきた人たちは、みんな何かやっているわけではありませんでした。どうしてそんな人たちにそんなこと言われないといけないのか、私のやりたいことをどうして理解してくれないのか、悲しくなったり、怒りが湧いたり、悔しくて一人で泣くこともあります。私は海外ボランティアを仕事にしたいと思っているので、そういう言葉を流せなくて結構本気で考えます。
逆に、「海外でボランティアなんてすごいね、えらいね」と言う人もいます。嬉しい言葉ですが、私にとっては違和感があります。
前者も後者も、多分ボランティアを「自己犠牲」だと考えているんだと思います。私がボランティアをするのは自分のため。海外で生活したい、精神力を鍛えたい、ボランティアをしている自分が好き、そしてそれが少しでも人のためになるなら良いなという考えです。みんなが自分の就きたい仕事を目指すのと同じように、私も自分のやりたいことに向かっているだけ。みんなも就きたい仕事を目指すとき、その仕事に就いた時、その仕事がやりたかったから、その仕事が好きだったから就いたんだと思います。それと同じように私は自分のためにボランティアをしたいんです。
誰かが何かをするから、世の中が回る、より良くなる。私の夢を否定してきた人たちは、世の中が回るための仕事をしてくれています。私は世の中をより良くするための仕事をしたい。私は海外ボランティアが特別な仕事だと思ってはいません。世の中を回していく仕事も、より良くする仕事も、等しく価値があって、上も下もないと思います。どちらも必要で大切な仕事です。どんな仕事でも、尊重されるべきです。だからこそ、私の夢が否定されるのはおかしいことだと思うんです。海外ボランティアをする人たちをいちいち否定していたら、じゃあ誰がこの仕事をやってくれるのでしょうか。
世の中にある職業って、全部人の役に立つものだと思います。その職業に従事している人がいるから、世の中が回っていて、必要だからこそ、その職業が存在するんだと思います。お医者さん、先生、農家さん、スーパーの店員さん、レストランのシェフ、大工さん、製品を開発する人、配送業者の人…。考えてみるといーーーーっぱい職業があって、その人たちが働いてくれているおかげで、みんなが生活できているんです。すごくありがたいことだなと思うし、その現場で働いてくれている人たちにリスペクトの気持ちを持つべきだと思います。私が目指しているものを否定してきた人たちも、みんな働いて社会の役に立っているんです。だから私はその人たちが働いてくれていることに感謝します。
最近、コロナの影響で医療従事者の方や配送業者の方がいろいろなところで「コロナが移るから来るな」とか「コロナを運んでいる」というような心無い言葉をかけられるとネットで見ました。ドラッグストアの店員さんもマスクが売り切れていることでお客さんから罵声を浴びせられるというのも見ました。こういう状況でも働いてくれている人たちがいること、その現場で働いてくれている人に感謝しなければならないなと思います。
タイトルにも書いたように、結局私が言いたいのは「人の夢や職業を否定するな」ということです。否定したところで、これをやらなければ誰がやってくれるんですか?あなたがやってくれるんですか?やらないでしょう?
私は誰がどんな夢を持っていても応援したいし、どんな職業でも、働いてくれている人たちに感謝の心を忘れないでいたいなと思います。
Step to Peace 2020
静岡文化芸術大学 文化政策学部 国際文化学科2年
しあり
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