はじめに
改めて先日の春合宿のメッセージ,ありがとうございました。この場所をお借りして,SFTでお世話になったすべての方々に感謝申し上げます。私は春合宿の最後の挨拶で,「苦しみの意味と価値が得られるその日まで頑張ってください」と伝えました。その意味をもう少し詳細に記しながら,いくつかの言葉を残させてください。自身を苦しめる覚悟を,勝ち切る決意を持とう。
SFTの活動はあまりにも泥臭いです。支部長時代,3日フルで使って4000冊の在庫整理をしていたとき,「私は何をしているんだろう」と何度思ったことか。雨の日も,雪の日も,屋外でビラを配り続けて,「こんな寒い中,震えながら何をしているんだろう。帰りたい。」と何度思ったことか。仮に支部員に人件費を払うことを考えたら,売り上げが全然足りない事への申し訳なさもありました。犠牲で世の中成り立っているのかと絶望するときもあります。学年が上がれば上がるほど,SFTを続ける理由がわからなくなってきます。大学生活や思考回路の中にSFTが溶け込みすぎて,SFTとの境界線がわからなくなってきます。目指す目標もわからなくなってきます。1,2年生のときにはあった目指すべき背中が無くなり,自分が背中を見せる番となります。自分が背中で引っ張ること,目的目標を提示する難しさを知ります。これらの詳細は日本の労働課題から見るSFTの人的課題の後半にも記載しています。
あまり最近まではっきりと覚えていなかったのですが,私が利己性と利他性の両立を叫ぶようになったのは,頑張った人が頑張った分だけ報われるという正義を実現したかったからだったように思います。そして私は,利己性と利他性の中でも利他性から始めるべきだ,貢献から始めるべきだと訴え続けてきました。しかし,いくつかの本を読むうえでこの考えは楽観的で,人々を犠牲的貢献の道へと進めてしまう危険性を孕んでいると反省しています。アダム・グラントは『GIVE&TAKE』(東京:三笠書房,2014.)においてこう指摘しています。
テイカーが「利己的」で,成功できないギバーが「自己犠牲的」なら,成功するギバーは「他者志向的」といっていいだろう。自分を犠牲にして与えていれば,すぐにボロボロになってしまうだろう。「他者志向」になるということは,受けとるより多くを与えても,けっして自分の利益は見失わず,それを指針に,「いつ,どこで,どのように,誰に与えるか」を決めることなのである。pp.254-255代表理事である石橋さんも先日の動画で仰っていましたが,勝ち切る意識,自身も利益を得る,リターンを得る意識は非常に重要であると,改めて感じています。私がHRとして多数のことをやってこれたのは,周りからの多数の支えと,HRのミッション・ビジョンを実現したかったからです。私の場合,利他と利己が混じっていると表現されるかもしれませんが,もっと純粋な利己,すなわち成長する,成功する,楽しむといったものでも構いません。純粋な利己性もまた,利他性の結果満たされるのですから。 大事なのは利他性が利己性に先立つこと。それだけでなく,利他性と同じくらい利己性も強く持つことです。
今まで多くの人びとの脱退を見てきました。これからだったのに,という人も多数いました。私含むHRが提供するケアが足りなかったのも事実です。そして,私もSFTを離れた期間がありました。大事な時期に10日間も活動を止めてしまったのは,活動期間の中で最大の汚点です。あのときを思えば,利己性の欠片もありませんでした。犠牲的貢献に酔っていたのかもしれません。利他性だけを優先することが全体としてみたときに周りに迷惑をかけることもあるのです。だからこそ,セルフケアとしての利己性の追求は重要なのです。この利己性の追求こそが,苦しみの意味と価値が得られる日まで努力することです。
V・E・フランクルが『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(東京:みすず書房,1985.)において「何人も彼の代りに苦悩を苦しみ抜くことはできないのである。まさにその運命に当った彼自身がこの苦悩を担うことの中に独自な業績に対するただ一度の可能性が存在する」(p.184)というように,苦しみはその人を襲い続け,誰かが代わりに苦しむことはできません。私を苦しめるものも私を作ります。苦しみから逃れようとすることは,私が私から逃れることです。だからこそ苦しみは苦しみとなるのです。ですから,私たちは苦しみと向き合い続けなければなりません。己と向き合い続けなければなりません。あなたが苦しみと向き合い続けることでしか得られない苦しみの意味と価値があります。 それが何よりもあなたの利己性を満たしてくれます。だからこそ,苦しみの意味と価値が得られるその日まで努力しなければならないのです。
人間が鮮明に思い出せるのは苦難だけなのだから,病人や被迫害者,あらゆる領域での犠牲者たちこそ,結局のところ,最大の利益を得つつ生きたことになる。それ以外の,幸運に恵まれた連中は,たしかに一個の生涯を生きるけれども,その生涯の追憶というものを持つことはない。
E・M・シオラン『生誕の災厄』(東京:紀伊國屋書店,2021)p.119
利己性の追求も利他性のそれと同様に強くなることで,求められる努力量は今までの2倍以上になるでしょう。私たちが理念とする「FOR ME, FOR TWOのボランティアが身近になる世界」はその努力の先にあるものです。皆さんが言う成長や楽しさもその先で待っています。理念があなたの努力に期待しています。先日の春合宿において,皆さんは後悔なく帰路に着きましたか?初日に考えた目標を達成できましたか?「あの人に○○を聞きたかったけど,機会がなかった」って思っていませんか?ドキッとした方は,今がまさにスタートラインに立ったことを意味します。何も思わないことが一番怖いです。だから,焦らなくても大丈夫。今この瞬間から変えていきましょう。
話は飛びますが,生きている限り苦しいことは変わりません。過去に苦しんで来た経験が,苦難を乗り越えてきた経験が今の苦しみを再生産します。あのときは出来たのだから今も出来るだろうと。反出生主義のように生まれたことが苦しさのすべての根本だと恨んだとて,あなたはすでにもう生きてしまっているのだから,悔いきることもできません。この苦しさの根本にある生きることに何の意味があるのだろうと考えても,仕方がありません。なぜなら,人生に意味はないと気付くことが生きる意味だからです。したがって,苦痛や生誕の災厄に対する報復は,苦しさの意味と価値を創ることです(意味と価値についてはこちら)。苦しさに飼いならされるのではなく,苦しさを飼いならすことです。やってよかったという歓びは苦しみがあるからこそ得られる感情であるように,それらは再帰的に獲得されます。それらが得られたときも,別の苦しみの意味と価値が求められています。したがって,私たちが苦しみから解放されるときは来ません。それらが得られるまで私は私を苦しめ,歓ばせ続けなければならないのです。
その願望は、その為に払う苦痛に値するか
北野昂大
STUDY FOR TWO
だからこそ,自身を苦しめ続ける覚悟をもってください(覚悟に関してはこちらも参照してください)。お金も貰えない。自分で頑張る理由を見つけないといけない。自分の呼びかけに誰も応えてくれない。そんな苦しみの中に身を投じる覚悟を持ってください。SFTをやり切る覚悟,利己性と利他性の両立を追求する覚悟をもってください。その先に団体の理念があります。あなたの利己的な幸福と利他的な幸福があります。損なわなれた感情を取り戻してあげてください。
自分との対話を大切にしよう
私たちが何かに悩んでいるとき,葛藤するときに,その声はどこから届くのでしょうか。周りのメンバー,自分を納得させるために想像した仮想の相手,今に繋がる選択をした過去の私,今の私を見守る未来の私などなど人格なき責任を問う声は様々なところから聞こえてきます。私が思うに,誰よりも今の私を見つめているのは過去の私なのです。選択に悩めば悩むほど,時間という重しが重なれば重なるほど,過去の私は現在の私に期待します。「あのときの選択は正しかったのか」と。私はあまり人に命令された覚えがありません。なぜなら,誰よりも強い言葉で,間近で私に命令するのは私自身だからです。今の私を見た過去の私が幸せになるように努力してください。現在の私は過去の私の産物,結果です。同様に,現在の私は未来の私のために生きていかなければなりません。現在の私を見た過去,未来の私が喜ぶように、過去の私と未来の私への責任を果たすことが現在の私には問われているのです。だからこそ,過去や未来の自分との対話を大事にしてください。そして,決断は必ず自分でしてください。自分で決めたのと,周りに言われて決めたのでは,その後のパフォーマンスに天と地の差が生まれます。
自由だからこそ,目的を創り続けよう
自由には責任が伴います。SFT,特に事務局は自由すぎます。支部に関しても,回収販売新歓が定期的に必ずやってくるけど,それ以外の期間は何もない。毎年同じことを繰り返す以上,毎回自分たちで創意工夫を凝らさなければ楽しさを享受できない。事務局に関して言えば,各役職の責任は定義されているけど,そこで何をすべきかは具体的には指示しない。私はそうした意味でSFTはかなり残酷な環境だと思います。やりたいことがない人は何も出来ないに等しいのですから。自由だからこそ求められるのは目的を創りに行く姿勢です(目的には,新しいPJを作るための目的や,自身のビジョン,個人理念と広い意味を込めています。以下では,仕事を創るための目的設定を念頭に置いています。ビジョンに関してはこちら,個人理念に関してはこちらを参照してください)。決めたことをやる,ルーティンをやる,それはもちろん大事です。しかし,昔からあることを続ける場合においても,意味と価値があることをやり続けないと何もしていないのと同然です。読者のみなさんは今,自分がその仕事,役職を持った意味を言えますか?自分だからこそ作れた差異,価値を語れますか?組織において自身の仕事の価値を認めるのはあなた自身ではなく周りです。評価者の価値体系に則って,あなたの仕事の価値が決められます。あなたの存在自体は常に絶対的な肯定を受けます。しかし,あなたのパフォーマンスについては別です。あなたがその仕事をやったことの差異が必要です。それが評価の対象となります。
ビジョナリーに生きる
北野昂大
STUDY FOR TWO
あなたが作る差異が,最もあなたらしさを作り出します。だからこそ新しいことを,新たな目的を創りにいくことが求められます(仕事の創り方に関してはこちらも参照してみてください)。いきなり型破りなことをしろと言っているわけではありません。成長とは基礎の模倣と特性の突出を意味します。基礎の模倣とは今までやってきたこと,基本的な業務内容をこなすこと,沢山学ぶことです。それを踏まえたうえでの特性の突出,自身の強みを活かしたり,新たな目的や価値を創出するフェーズに入ることが出来ます。土台を作り切ることで目的を創りに行くことができます。新たな目的は,既存の目的を追求して初めて追求できます。
slackやG-suiteの導入によって,様々な情報がまとまりつつあります。逆に言えば,誰でも情報にアクセスできるようになったからこそ,普段から情報を取り込む人とそうでない人の差がつきやすくなる環境になりました。使えるものを使い潰せる人,自分にどんな役職や仕事が与えられても,それをこなす自信と知識を日ごろから養う人を目指してみてください。準備している人にだけ,日ごろから努力している人にだけやりたいことは見つかります。環境が整えば整うほど,言い訳が効く範囲は狭まります。
目的を創ればそれを実現するための苦しさがあります。新しい目的は等身大の目的ではないので,それを達成する能力もないので大変です。周りからその目的を達成する意義に納得してもらう交渉も必要です。ここで大事になるのは先述した利己性の追求です。自分で目的を創出したからこそ,こだわりが生まれます。目的を達成したいという強い利己性を思う存分発揮してください。人は,相手の論理性,感情性,人間性の三つが揃った時に心打たれます。あなたの利己性が,これらを磨いてくれます。
目的を創ればそこで終わりではありません。目的を創り完成させたら,それによって得られる価値を誰もが提供できるように,システム化していく必要があります。SFTは人材の流動性が極めて高いです。育成にかけられる時間にあまり余裕はありません。だからこそ,誰もが価値を提供できるような仕組みを今度は創りましょう。それが終わったら,その目的,価値提供を後輩に引き継ぎ,自分は目的を再び創るのです。こうして絶えず新しい目的の開発と,それを再生産する仕組み創りを行うことによって,SFTは変わり続ける,成長し続けることが出来ます。まとめると,「学ぶ,動く,広げる」の3ステップを大事にしてください。
消費者ではなく生産者であれ
利己性と利他性、及び個人理念再考ーよく活動するためにーの共有地の悲劇においても指摘したように,2023春合宿でも提示されたように,私たち一人一人が未来のSTUDY FOR TWOを創る責任を分有しています。この責任は,自ら機会や目的を生産することによってのみ果たされます。前項と被りますが受動的ではなく能動的に,地区活や合宿といった機会を消費するだけでなく生産することが必要です。生産者がいなければ消費者は成立しないのです(逆も然りですが,生産者の方が圧倒的に少数なのが事実です)。SFTは皆さんに様々な機会や経験を提供します。しかし,そこには絶対にそれらを提供してくれる人がいます。機会や経験を再生産するためには,生産者の再生産が必要なのです。あなたが今まで経験してきたイベントをあなた自身がつくれないとき,あなたの後輩はその経験を出来ないのです。それは少しばかり不公平ではないでしょうか?利己性と利他性、及び個人理念再考ーよく活動するためにー
北野昂大
STUDY FOR TWO
なんでもかんでも生産すればいいわけではありませんが,まずはとにかく沢山作ってみてください。「団体の理念や支部やチームのビジョンのために自分に出来ることは他にないか?必要なことや,やるべきことはすべてやりきったか?」と問い続けてください。突き抜けるまで問い続けた先にしか見られない景色があります。自身の持つ繋がり,責任,関心などからやることを探し出すのもいいでしょう。そして沢山失敗して,落ち込んでください。落ち込み具合が,あなたの想いの強さです。質の追求は量の追求があってはじめて出来ます。牛丼チェーンでどこが一番おいしいかを判断するには,全部回らないといけませんよね。
質の追求は,失敗を踏まえながら自分がやりたいことを導出したり,自身のビジョンを設定することが有効です。大きなパズルの枠を用意すれば,パズルを完成させるために必要なピースは決まってきます。そうすれば,自分に必要なことがわかるはずです。過去の失敗を,現在の成功に繋げるんです。苦しみの意味と価値を与えるんです。経験という屍を越えてください。
有名な言葉を借ります。「自ら機会を創り出し機会によって自らを変えよ」。
感謝を忘れずに
当たり前ですが,私たちは一人では生きていけません。私たちは各々の持つ脆弱性,不完全性を互いに支え合いながら生きています。一人で勝ち切ることなど到底できません。目的を達成できるのは周りの協力があってこそです。だからこそ,どうか感謝を忘れないでください。自分のことを肯定してくれる人,応援してくれる人はそう簡単にはいません。アフリカに有名なことわざがあります。「早く行きたいなら一人で行け。遠くへ行きたいならみんなで行け」。SFTの目的はとても遠いです。遠くに行くためには,みんなで互いに感謝しながら,助け合いながら歩いていきましょう。おわりに
2023春合宿に私は墓標を建てに行きました。そこに私のSFTに対する想いや思考等を全て捨ててくるつもりでした。金沢大学支部員,HRリーダーとしての自分をそこで弔うつもりでした。しかし身軽になるはずだった帰路が軽くなることはありませんでした。人生追い風の日もあれば向かい風の日もあるでしょう。いつまで追い風が吹くかなんて誰にもわかりません。そして大抵の場合,風は急に止んでしまいます。だからこそ,走れるうちに走ってください。そして,あなたが人と組織を動かす風になってください。
皆さんはイキツク先に何を望みますか?天国か地獄か。涙や笑顔か,それとも失望や絶望,無力感か。何が待っているのかは,未来のあなたしか知りません。確実に言えることは,あなたが立てる墓標がどこに立つか,そこに何が刻まれるかはあなたが今から起こす行動によって決まるということです。自身の生き字引が,あなたを定義してくれます。
何のためにSFTをやっているのかわからなくなる日もあるでしょう。何の役に立つんだ,もっと別のことに時間を割きたいと思う日もあるでしょう。それでも,やっぱりSFTが,そこにいる仲間が好きだなって思う日はもっとたくさんあるでしょう。そんなどっちつかずの自分を,ほんのちょっとでも許してやってください。
上手くまとまりませんが,私から言えることは本当にこれだけな気がします。
長らく本当にありがとうございました。
苦しみの意味と価値が得られるその日まで。
SFTでの経験という種子が人生という風に乗ってどこかで花開きますように。
さようなら。