野球の打者がなぜ9人なのか考えていたら、ウガンダの野球を支援する流れになった話

野球という競技は、なぜ9人ものバッターを用意して打線を作るのだろうか?

 守備に関していえば、フィールドの形状から考えても、9人での守備が効率性とゲーム性のバランスが最も優れていそうなことは直感的に理解できる。しかし、

「守備を9人でやるのだから、打撃も当然9人でやるのだ」

という主張は、考えてみると、必要性の面では、自明には受け入れることができない。守備と打撃では求められる能力、その動作も全く異なるわけであるから、守備と打撃が同一人、同一人数であることの説明としては、いささか論理の飛躍を感じえない。だいいち、DH(※デザイニング・ヒッターの意。打撃の時のみ出場する選手のこと)の存在をその理論でどう説明するのか?

 塁上にランナーが貯まることを考慮しても、6人いれば打線の巡りは完成するはずである。なんならDR(※デザイニング・ランナーの意。そんなものはない)でも導入すれば、1人いれば十分打線になるのである。これはそこまで突飛な事だろうか?私が知る限り、多くのスポーツにおいて、プレイヤー人数はゲームをするにおいて最も効率的な人数に設定されているはずである。サッカーはあのフィールドだから11人より減ると不利だから11人、駅伝も、あの距離を走るのであれば10人いないと厳しいので10人、という論理展開なはずである。

 

 そうなってくると、まず通説となるのは、野球という競技を楽しませるために、守備だけでなく打撃をやらせてあげようという政策的な目的であろう。それならば守備固めや代打の存在を許すなと言いたいところだが(しかしこの通説はそれ以外の強度はなかなか高いとは評価している)。

 ただ、ここでもう一つ、少数説なことは承知の上で、一つの考え方を提起したい。

 けだし、野球であっても、他の競技と実は全く根本は同じである。つまり、

「9人で組む打線が6人で組む打線より強いから」

という理由で、9人で打線が組まれているのではないだろうか。この説は、スポーツ一般に通底する総則的な説明が可能になる点が通説よりも優れているといえよう。

 

 では、なぜ9人いたほうが強いのか?

 これも、生態系からビジネスシーンまで、様々な場面で通底する考え方であると思うが

「多様性=強さ」

であるからである。正確に言えば「淘汰のされにくさ」であろうか。

例えば、人間1人を取っても、免疫系が様々ゆえに、一つの病原体で全滅ということがほとんど起こらないシステムが成立しているし、ビジネスにおいても多様性に富んだ組織が強いクリエイティブを生み出すことはよく知られたことだろう。他にも多様性が強さを生み出す例は枚挙にいとまがない。

 

 打線もこれと同じで、

「同質性が強い打線は一つの侵略者(=ピッチャー)に対して脆弱である」

ということは一般論として言えると思う。

たとえば変化球に弱いバッターしかいない場合、変化球一本で全員淘汰される。投手に関しては、一般的に多いほうがいいと考えられていることからも、この命題は受け入れられやすいと思う。

 

では、多様性に富むため、人数が多ければ多いほうがいいのかといわれると、プロ野球ですらハイレベルなバッターを9人集めることは至難の業なわけだから、多ければその分平均的な打者レベルは下がってしまうだろう。

そこで、

「脆弱性を排する多様性と、打者の平均レベルが最も調和するのが9人だった」

という思考を取ったという説を提唱したい。

 

ではこの数がなぜ6ではなく、12でもなく9なのか、というのが目下のテーマであるが、なかなか解決は難しい。与太話に近い傍論なのだが、人間の必須アミノ酸が9種類であることと関係があったりなかったりするのかもしれない。この点は次回以降の課題にしたい。

 

ただ、「最も強い打線を作りたい野球の神」が存在するとして、その神が9人がベストだと考えた、というナラティヴが野球の創設にあったといえるかもしれない不思議な力はひめているのではないだろうか。そういえば神話も9人1セットが多い気がする。

 

ともかく、このことは次回の課題として、「多様性が担保されたチームは淘汰されにくい」というところはある程度お判りいただけたかと思う。

 

では、多様性の担保するために必要なことは何であるか、最低限の要素を考えると

⑴異なる環境で生育する

⑵その環境下で、自然な状態で成長する

⑶最終的に様々な環境下で育ったものが1つの集団となる

の3つであろうと考える。

 

野球における環境と一口に言っても、遺伝的な問題から、指導者やチームメイトの差など、大小さまざまなものがあるが、もちろん一つ大きな要因は「国」であろうと思われる。それぞれの国には独特の野球文化があり、また人体の特徴もある程度異なるからである。

 

そして、各国でそれぞれのやり方で強さを手にしたプレイヤーが一つのチームになることで、なかなか打ち破られない最強の「打線」が完成するのではないだろうか。

そういう意味では、メジャーリーグマンセーという一大リーグ主義も結果的には悪いものではないなぁなどと思ったりもする。

 

ウガンダの野球が如何に珍しいものであり、ポテンシャルを秘めているかは他のメンバーの記事に譲る。

 

ただ、私は、いずれにせよ、野球においても「強さ=多様性」だと考えているからこそ、まだ野球先進国とは言い難い国の野球を支援して、トップクラスの選手をどんどん輩出するようになってほしい。それが世界の野球の発展につながるから、という願いをもってウガンダの野球を支援している。


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