群像新人評論賞の休止と『表現者クライテリオン』について

 今から2年前、2019年第63回群像新人評論賞の結果が発表され、評論賞が分離独立して初めての「該当作なし」という結果になった。それから2年、新しい審査員になってから、本賞受賞者0人のまま、ついに今年評論賞は休止になった。
 私(慶應義塾大学商学部准教授・岩尾俊兵)の「文学は何ができるか:サルトルへの意思決定理論的返答」という評論も該当作なしの年に最終候補作5作に残っていた。学者からすると少し不思議なのだが、研究者としての集大成が評価される学会賞や学術賞と違い、文壇や論壇が実施する賞の多くは「新人賞」で、これがないと発表の場を(ほぼ)もらえない。文芸界隈における新人賞は、学術界における博士号のようなものだ。
 正直、私は正直なところ印税もいらないし、賞もいらないのだが、発表する場は絶対に必要だと考えている。幸い、私の学術研究論文については、国際誌であれ国内誌であれ、基本的には載るようになったが(私の最新研究についてのハーバードビジネスレビュー対談無料記事はこちらこちら)、なかなか私の小説や評論を載せてくれる場所がなく困っていた。
 というのも、私は本来は経営学者だが、日頃から「数理化・計量化できるものは論文に、それが難しいものは小説・評論にすることで社会科学研究はより幅広く世の中に貢献できるのではないか」と思っているためである。本当は、小説や評論といった専門外に飛び出してしまうのは本業の評判を落としかねないリスクの高い行為だ
​ しかし、世の中に貢献するためには、自分の評判を気にしてはいけないと思い、様々な挑戦をおこなっていた。だが、経営学の学術界と文壇・論壇の距離は思いの外遠く、かなり苦労していたのが実情だった。
 そんな中、雑誌『群像』がここ最近になって私の考えにも近い「文×論」というモットーを掲げだした。また私も、東洋経済新報社や扶桑社などの媒体で、文芸批評と経営学を掛け合わせたエッセイを少しずつ書かせてもらえるようになった。
 さらに、私のそうした活動を見てくださっていた『表現者クライテリオン』誌が、ついに2022年2月発売号にて群像新人評論賞最終候補作「文学は何ができるか:サルトルへの意思決定理論的返答」の改訂版を掲載して下さることになった。
 私にとって原稿は子供のようなものだ。この「子供」をめぐっては、色々と苦労も多かったが、ようやく表に出てくれて嬉しい気持ちである(なお今回、元原稿3万字を1万字に削り、さらに最新の話題にも触れているため、大幅な加筆修正が施されている)。

松下 耕三
2021.12.30

文学には疎いのですが、岩尾先生の作品が世に出ることを大変嬉しく思います。益々のご活躍を楽しみにしております。

岩尾俊兵
2021.12.30

ありがとうございます!
こちらはなかなか苦労しておりますが、ようやく道が見えてまいりました。

関連記事