こんにちは、そーたです!
3/13にマスクの着用が屋内・屋外問わず個人の判断に委ねると発表されてから約1週間が経ちましたね。しかし目に映る光景は、もうすでに「日常」と化してしまったマスク。マスク。電車などの密室空間ではさすがに外さなくても、屋外だったらある程度の人は外しているのかなーとカンボジアから帰国してる時に考えてましたが、そんなことは一切ありませんでした。マスク生活は一体どのくらい続くんですかね、、。
皆さんは、どんな気持ちからマスクをずっと着用していますか?
「感染したくない」「一人だけ外していると人の目が気になるから」、、、
人によって理由は様々あると思います。僕自身、コロナはとても怖いですがマスクを外したい気持ちも同じくらいあります。しかし、どうしても他人には迷惑かけたくないという気持ちから中々外せないんですよね、、。一日でも早くマスクが無くても感染するリスクがなくなっている世界が訪れることを心から願っています!
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回は前回からの続編という形で「私がしたい支援」について書こうかなと思います。
私が注力したい支援内容は、「途上国の教育の質を上げる」ことです。
近年、ボランティア活動が活発化しており、多くの学生国際協力団体が設立されています。それに伴い、至る所に日本人が携わっている学校が途上国にできています。
とても素晴らしい事だと思います。
多くの日本人の心にボランティア精神が芽生えて、誰かのために貢献してくれる人が増えているということですよね。
ですが、私は少し感じることがあるんです。
「学校を建てることが目標になっているのでは?」と。
もちろん、学校を建てることでこれまで勉強したくても勉強する環境がなかった子どもたちには多大なる貢献ができていますし、大きな一歩を踏み出す手助けにもなっています。
しかし、その後のことはどうでしょう。
学校を建てたはいいものの、授業用の必要資材はあるでしょうか。
子どもたちはこれまで学校教育を受けていなかった子たちですから、ごみ拾いや手洗いといった衛生教育や集団行動などの知識もほとんどないでしょう。
また最大の問題として教員の不足です。カンボジアでは内戦のために教師を始めとする知識層が多く殺害されてしまいました。
そのため、学校建設による就学率改善の一方で、上記などの要因により教育の質が低下してしまうという現象が起きてしまっているのです。
学校が至る所に建設されていると言いましたが充足しているわけではありません。
むしろ、不足しているくらいです。
ですがある程度改善してきた現在において、中途半端な学校を数多く建てるよりも、質の良い教育環境を提供できる学校を作っていくべきだと私は思うんです。1週間前に実際に現地渡航してみて、子どもたちに話を聞いたところ「医者になりたい」「院生になりたい」と目を輝かせて言ってきたのです。
それはもう俺らでできる最大限のことはするしかないだろと。
医者になろうと思えばその環境が整っている日本とは異なり、なりたくてもなることが難しい環境下にある子どもたちの手助けをしたい。
もしその子供の夢が叶えば、その家庭の貧困のサイクル、いやその地域全体の貧困のサイクルを壊すことができるのではないだろうかと。
教育の質を上げることは、並大抵の努力で改善されることではありません。
しかし、これが改善されなければ一向にカンボジアの教育に光が差すことはないと思います。学齢期に適切な教育を受けることによって(教育投資)、知識などを備えた能力の高い人材へと成長し(人的資本を豊富に有した人材)、労働市場へと参入した後(つまりは社会人になった後)に、より高い所得(収益)が得られるのです。[黒崎・栗田2022]
私たちの努力が少しでも子どもたちに明るい未来を届けられたらなと思います。
「できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である。 パブロ・ピカソ」
参考文献
黒崎卓・栗田匡相(2022)『ストーリーで学ぶ開発経済学 途上国の暮らしを考える』有斐閣
3/13にマスクの着用が屋内・屋外問わず個人の判断に委ねると発表されてから約1週間が経ちましたね。しかし目に映る光景は、もうすでに「日常」と化してしまったマスク。マスク。電車などの密室空間ではさすがに外さなくても、屋外だったらある程度の人は外しているのかなーとカンボジアから帰国してる時に考えてましたが、そんなことは一切ありませんでした。マスク生活は一体どのくらい続くんですかね、、。
皆さんは、どんな気持ちからマスクをずっと着用していますか?
「感染したくない」「一人だけ外していると人の目が気になるから」、、、
人によって理由は様々あると思います。僕自身、コロナはとても怖いですがマスクを外したい気持ちも同じくらいあります。しかし、どうしても他人には迷惑かけたくないという気持ちから中々外せないんですよね、、。一日でも早くマスクが無くても感染するリスクがなくなっている世界が訪れることを心から願っています!
さて、前置きが長くなってしまいましたが、今回は前回からの続編という形で「私がしたい支援」について書こうかなと思います。
私が注力したい支援内容は、「途上国の教育の質を上げる」ことです。
近年、ボランティア活動が活発化しており、多くの学生国際協力団体が設立されています。それに伴い、至る所に日本人が携わっている学校が途上国にできています。
とても素晴らしい事だと思います。
多くの日本人の心にボランティア精神が芽生えて、誰かのために貢献してくれる人が増えているということですよね。
ですが、私は少し感じることがあるんです。
「学校を建てることが目標になっているのでは?」と。
もちろん、学校を建てることでこれまで勉強したくても勉強する環境がなかった子どもたちには多大なる貢献ができていますし、大きな一歩を踏み出す手助けにもなっています。
しかし、その後のことはどうでしょう。
学校を建てたはいいものの、授業用の必要資材はあるでしょうか。
子どもたちはこれまで学校教育を受けていなかった子たちですから、ごみ拾いや手洗いといった衛生教育や集団行動などの知識もほとんどないでしょう。
また最大の問題として教員の不足です。カンボジアでは内戦のために教師を始めとする知識層が多く殺害されてしまいました。
そのため、学校建設による就学率改善の一方で、上記などの要因により教育の質が低下してしまうという現象が起きてしまっているのです。
学校が至る所に建設されていると言いましたが充足しているわけではありません。
むしろ、不足しているくらいです。
ですがある程度改善してきた現在において、中途半端な学校を数多く建てるよりも、質の良い教育環境を提供できる学校を作っていくべきだと私は思うんです。1週間前に実際に現地渡航してみて、子どもたちに話を聞いたところ「医者になりたい」「院生になりたい」と目を輝かせて言ってきたのです。
それはもう俺らでできる最大限のことはするしかないだろと。
医者になろうと思えばその環境が整っている日本とは異なり、なりたくてもなることが難しい環境下にある子どもたちの手助けをしたい。
もしその子供の夢が叶えば、その家庭の貧困のサイクル、いやその地域全体の貧困のサイクルを壊すことができるのではないだろうかと。
教育の質を上げることは、並大抵の努力で改善されることではありません。
しかし、これが改善されなければ一向にカンボジアの教育に光が差すことはないと思います。学齢期に適切な教育を受けることによって(教育投資)、知識などを備えた能力の高い人材へと成長し(人的資本を豊富に有した人材)、労働市場へと参入した後(つまりは社会人になった後)に、より高い所得(収益)が得られるのです。[黒崎・栗田2022]
私たちの努力が少しでも子どもたちに明るい未来を届けられたらなと思います。
「できると思えばできる、できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である。 パブロ・ピカソ」
参考文献
黒崎卓・栗田匡相(2022)『ストーリーで学ぶ開発経済学 途上国の暮らしを考える』有斐閣