ジャイアントキリング

 インターネットのもたらした希望の一つとして、個人に発信のツールを与えたことが挙げられる(と個人的に考えている)。総メディア化の功罪は半ばするのでもうちょっとこの世界も成熟が必要だとは思うが、個人レベルで権力や巨大組織と戦うことができるというのはやっぱり夢がある。以前書いたべリングキャット然り、空売りヘッジファンドに痛撃を与えたReddit民然り。

 ゲームストップ株の空売りをめぐってヘッジファンドが痛い目に遭った件について説明すると長くなるので、ちゃんとした記事で読んでもらった方がいいだろう。

※GameStop株で学ぶ、空売りファンドが儲ける仕組みと個人投資家がそれを打ち破った方法
※個人投資家が結託、巨大ファンドに反乱… 米市場を揺るがした「ゲームストップ騒動」を解説する
※米金融界を混乱させた人気投稿サイト「Reddit」の取引コミュニティとは何か

 その上で、よりエモーショナルな気分になるために想像していただきたい。

 子どもの頃に入り浸っていた今は斜陽のゲームショップ。時代遅れのビジネスモデルに未来はないとばかりにヘッジファンドは空売りを、マネーゲームを仕掛ける。

 こんなことは珍しいことでもなんでもない。

 個人投資家が逆張りしても仕方がない。

 相場を大きく動かしているのはヘッジファンドをはじめとする機関投資家で、単純な資金だけでなくコンピュータを駆使したアルゴリズム取引やHFTといった手法は個人に真似できるものではない。立っているステージが違うのだから。

 けれどもかつて店に通った子どもたちが、インターネットの掲示板でつながり強欲資本主義に一泡吹かせたなら……。

 相場操作に当たる可能性だったり、どこか別のヘッジが便乗しているんじゃないかとか、高値掴みした個人投資家もいるだろうとか、色々と思うところはあるけれど、それよりなによりこのニュースは痛快だった。

 株取引の板情報はラグビーに似ている。

 売りと買いがそれぞれ一つのチームとなり、株価をめぐって押し合いへし合いラックを形成。ずらりと並んだ気配値は球出しを待つバックスのよう。フェーズを重ね、じりじりと値を上げて、ついにディフェンスラインを突破したときの爽快感。と思ったら突如投下される売り注文に跳ね返される。痛い。強烈なタックルに株価は二転三転し、援護の指値がわらわらと集まる。

 そんな数字の動きに手に汗握り、快哉を叫ぶのは、単なる観客ではないからだ。買い方あるいは売り方としてゲームに参加しているプレイヤー。一人一人の注文が相場を動かす力となる。そしてゲームストップ株の件で一人一人をつなげたのがインターネットだった。これを希望と呼ばずしてなんと言おう。

 だが用心してほしい。つながる先は陰謀論だったり、ネットリンチだったりもする。

 何かが違う、正しくないという違和感は常にいきどころを探していて、だから答えが見つかったように感じると飛びついてしまう。正解なんてない問題だとしても、すべてがつながる誘惑に勝てない。もしかしたらという思いが、リコメンドエンジンによって同じ意見に出会い、囲まれ、やっぱりそうなんだと固められていく。ヘッジファンドの敗北を小気味よく思う自分とエスタブリッシュメント打倒を叫びデマを拡散するQアノンの間にどれだけの距離があるのか。はてしなく遠いつもりだが、その感情は同種のものかもしれない。

 ジャイアントキリングは実に気持ちがいい。人と人のつながりが力を生むという物語は耳触りがよく美しい。インターネットが個人に与えた力を、先ほど私は希望と呼んだ。だが個人の発信力を増大させたことをインターネットの罪に数える人もいる。確かに、無秩序な発信と情報の氾濫はパンドラの箱を想起させる(そしてパンドラの箱に最後に残ったのは何だったか)。

 巨人を殺す力を得たならば巨人を殺した後の世界のことを考えなければならない。ゲームチェンジが起こるそのとき、旧来の秩序に代わり力を得た者たちがほしいままに権力を行使するならば時代は暗黒に戻るだろう。

 本当はゲームストップの件で能天気にインターネットの希望を語りたかったのに、どうしてこんな流れになってしまったのか。語れば語るほど別の側面が見えてくる。それだけ今の状況は紙一重なんだろう。結局のところ、人人人、人なんだ。

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