便利さの代償に失ったもの
昨日、採用選考の面接でこんな話をしました。お越し頂いた方のこの場に至るまでをお聞きしましたが、人材エージェントが送付してくる募集要項の中から興味の持てそうなところを選び、その企業のホームページなどを見て興味が湧けばエントリーをするという転職活動をされてきたとのことでした。
私はどんな偶然であっても、どんなきっかけであっても、人が心湧きたつくらいにこの仕事をしてみたい、こんな商品やサービスに携わってみたい、という強い想いがあって、何としてもこの会社に入りたいという想いがあれば良いと思うのですが、その想いが湧きたっていなければ魂のこもった仕事は出来ないと考えています。
続いて、「人材エージェントはどんな価値を提供していると思いますか?」と私は尋ねました。「自分では知ることの出来ない、自分に合った様々な会社で働く機会を提供してくれている」「仕事を探す時間や労力を短縮してくれる」というような回答を頂きました。
果たして本当にそうでしょうか?本当に自分に合った会社を紹介してくれているとなぜ言えますか?求人票だけ並べられて、職種や業種、労働条件、福利厚生、簡単な事業の紹介だけで、その会社で何としても働きたいという強い想いは湧き出すでしょうか?
求人票ではその企業がどんな思いで事業をし、どんな社会への影響を持ちどんな世界を実現しようとしているのか、人々のより良い人生にどのように貢献しているのか、どんな人たちがどんな思いを持って、どんな生きがい、仕事へのやり甲斐を抱きながら仕事をしているのか、実際にどのような仕事の内容であるのか、それらの表面的なことしか見えません。
私は、人材紹介が無くても、求人媒体が無くても、インターネットが無くても、心湧きたつ仕事は探せると思っています。日々、私たちは膨大な商品やサービスに囲まれて生きています。ほぼ全ての人がどこかに住んでいます。そこにも家を建てる仕事、設計する仕事、土地を売買する仕事、内装をする仕事、家具を作る仕事、家電を作る仕事、お鍋を売る仕事、様々な仕事との触れ合いがあります。水道がでるのも水道局の仕事、ダムの仕事、蛇口の仕事、様々な仕事に溢れています。今来ている服も誰かが考え、誰かが作ったからここに存在します。感銘を受けた本があれば、その本を書いた人の仕事、出版社の仕事があります。インターネットでいろいろな情報を見れば、その一つ一つの情報を発信している仕事があります。
私たちは仕事に囲まれて、人々の仕事に支えられて、豊かな暮らしを手にしているのです。そんな囲まれた仕事の中に、自分のアンテナさえ張っていれば、いくらでも想いの沸き立つ仕事を見出すことができるでしょう。私は本来、仕事とはそうして出会い、見出すようなものだと考えています。私たちは、便利さを求めることで、沸き立つ想いをスタートにして仕事に就くということを失ってはいないでしょうか?
私が高校教師だったら
その面談の中で、私はこの会社のミッションである「後世に素晴らしい時代を残す」ということとPando事業について、以下のような説明をしました。
もし私がいま、このような情報サービス事業ではなくて、高校の教師をしていたとしても、私はPandoで実現しようとしていることと、規模は少し違っても、同じことをするでしょう。私の目の前にいる高校生たち一人一人が、より素晴らしい人生を歩んでいける為に、これからの人生の選択を、彼ら一人一人が心から願う道へと向かえる為に出来ることがあります。
私なら、過去の教え子たちに手紙を送り、今、これから自分達の人生をスタートさせようとする後輩達の為に、今どんな仕事をしているのか、なぜその仕事をしているのか、その仕事にどんな思いを持っているのか、どんなやりがいを感じているのか、その仕事はどんな人々の人生をどのように豊かにしているのか、どんな苦労があったのか、どんな面白さがあるのか、そんなことを書いて送ってくださいと。
教え子の大学生に対しても、今何を専攻しているのか、なぜそれに取り組むのか、その研究はどんな仕事に繋がっているのか、どんな教授やどんな研究者たちがいるのか、どんな部活動やサークル活動をしているのか、社会人に仕事のことを書いてもらうのと同じように、高校生たちの道標となるような、今の思いを送ってもらいたいと。
教え子たちが数百人、数千人と、それぞれの仕事や大学生活、そしてその歩みを送ってきてくれたとしたら、高校生たちにそれを読んでもらいたい。より高い偏差値の大学に合格することを目指すのではなく、何かを志して社会に出たり、大学に進学できるように。
もし私が高校教師だったら必ずこのような取り組みをするでしょう。ここで私という教師がやっていることは、このPandoという事業でやろうとしていることそのものなのです。
Pandoが描く未来
私は人は生き生きと生きたいと願いながら生きるものと思っています。それは全ての生物に共通した生命である以上、当たり前のことです。生きる意欲に満たされながら人生の大半を送って、その人生の歩みを味わいながら、人生の終末に差し掛かってからは、子や孫、後世が生き生きと生きていく姿を見届けながら死んでいく、そんな人生を私自身も、私の子孫にも、全ての子供達に送ってもらいたいと願っています。
日々の暮らしに、日々の仕事に、その行いに意義を感じ、自らの行いに納得し、周囲の人々の生き生きとした日々に貢献し、生きる喜びを分かち合いながら生きられる、そんな社会を望んでいます。
Pandoをより多くの人々が利用するようになると、人それぞれが、どんな意義を感じながら生きているのか、どんな生き甲斐を持ち、仕事や研究へのやり甲斐を持ち、どんな世界を望んでいるのか、日々の仕事にどんな面白さがあるのか、苦労の方が多いかもしれないけれどなぜ苦労を乗り越えて生き生きと歩んでいるのか、そんなことを人々がお互いに知り、共有することが出来るようになるでしょう。苦難に直面した時も、怖れを振り払って腹をくくって一歩前に出ることが出来る人が増えるでしょう。組織の一人一人がお互いのことを良く知り、建設的に協力し合えるようになれるでしょう。
大学生が皆、Pandoで自分の研究内容、そのやり甲斐や意義を記し、部活動やサークル活動への思いや活動の歩みを記すようになれば、より多くの大学生が充実した大学生活を送り、自分自身と向き合い、己を知ることが容易になるでしょう。
高校生は、こんな研究をしたい、こんな教授のもとで勉強をしたい、こんな先輩たちのいるところで勉強がしたいという動機によって進路を選択するようになるでしょう。
多くの社会人や企業がPandoを利用するようになれば、現代に存在するあらゆる仕事の実態やその意義、やりがいを人々が見出せるようになるでしょう。企業には、その掲げるビジョンや事業が実現する世界の実現に心から共感し、そこに生き甲斐をもって全力を尽くせる人々が集まるようになるでしょう。
人々がより深くお互いを知り、深く相互理解をし、Win-Winで結ばれる関係が増えるでしょう。
私はそんな世界を実現する為に、この事業を進めています。Pandoの描く未来をともに実現しようと考える方々と共に取り組み、共に歩んで行きたいと思っています。
今日、私の娘の一人が10歳になりました。
1/2成人式のお祝いのケーキを買って帰ります。