Rookie Year

 我が国政府のコロナウイルス対策の対策遅れが話題となっていますが、皆様の自己防衛は如何でしょうか? 手身近な手段では、マスク着用やアルコール消毒除菌だそうですが、流石に体内に流し込むアルコホール飲料では効き目は??? 各種イベントも中止や延期となり、在宅勤務に切り替える会社もチラホラ、週明けは世界の株式市場がリーマンショック以来の大幅ダウン、浅草や京都の外人客向け民泊施設の稼働率が50%割れなど、直間接的に影響が出ています。 どうかご自愛下さるよう、心より祈念するばかりです。

 今回から、社会人生活1年目における実写版昔話を披露します。思い出は滔々と脳内から溢れ出て参り、お伝えしようとすれば切りも無く、やたら長ったらしくなりますし、また内容については皆さんのお役に立つシロモノとは程遠く、メッセージ性も希薄なモノですから、異次元の話と割り切り、フィクションの世界を覗き見る軽~いお気持ちでお願いいたします。

 

~~Rookie Year~~

野〇証券T支店営業課に配属となり、いよいよ社会人ルーキーとしてデビューとなります。!
当時、当社の新人社員の配属方針は、先ず営業の現場を経験させることを基本としていましたので、一部例外を除き、ほぼ全員が全国の本支店の営業部門にばら撒かれます。 私の配属先は、中国地方の瀬戸内海に面した人口10万余の工業地帯に在り、半径50km以内の営業圏に同等クラスの小都市が6,7散在するT支店、陣容は営業職10名、店頭営業社員5~6名、証券レディ(当時の俗称は、証貯(証券貯蓄)のおばさん)15名前後、その他ミドル・バック系社員を併せても総勢40数名という、全国100を超える支店の中でも規模も、またヒンターランド(当時よく使われたワード、商圏を意味します)も下から2~3番目にランクされるような小さな支店です。 大都市圏の支店に比べれば、存在する企業数や経済規模で当然に大きな格差があり、特に‟お金の量“(金融資産)は東京・大阪圏などと比べ相当に見劣りのする経済情勢となります。 正直、配属決定時は首都圏や政令都市の支店に配属された同期を羨望の眼差しで見つめていたことを良く憶えています。

 業務の厳しさという点では何処でも然程違わずに公平に存在すると考えますが、新人社員(人間ならば、赤ちゃん)を育てる環境と当人との相性次第では大きく異なる結果に繋がる影響度は否めないと考えられますので、新人育成にとり、就労環境と周囲に集う人々の人間性による影響は大変重要な意味を持ち、例え前提条件が有利に働きそうだとしても答えは❝神のみぞ知る❞もので、結果は蓋を開けて時間を経過しないことには判りません。 ただ言えるとするならば、育てられる側の新人社員いとり、この‟運“や‟相性”を試されていることは間違いないことかと。

 私にとって、このT支店に備わる距離感の近いファミリー的な雰囲気や諸先輩や同僚社員の豊かな人間性に囲まれる環境に大きく支えられたことは紛れない事実です。それを心の底から痛感しましたのは、4年後の人事異動で転属した2つ目の勤務地、都内に在する″虎ノ〇支店“(当時、常に全国トップ3に入る超攻撃型の収益戦略拠店、T支店とは180度対極の存在です。)での勤務経験から振り返り、気付かされたのです。 その時期の話は後日にとり置きまして、一言だけ言わせて戴きたいのは、『もし配属順が逆であったならば、今の私は間違いなく存在していませんし、クインテット社の皆様とも出会っていなかったでしょうし、ましてや回顧録をPandoに投稿するなんてことは在り得なかった訳です。大袈裟かも知れませんが、人生の巡り合わせは本当に不思議なモノで、まさに筋書きの無いドラマですね。 

Scene 1.
場面はT支店の2週目月曜の朝・・・・・振り返りますと、着任後1週目は、思い返せば在籍9年の中で唯一無二の特別扱いをされたスペシャル・ウィークでした。まだ何の役にも立ちませんから、見習い小僧に徹し、朝8時過ぎの開店準備から16時の閉店時まで、IF店頭のお客カウンター横に陣取り、店頭営業の先輩女性社員の居並ぶ隅っこに直立し、ご来店のお客様全員に大声で、「いらっしゃいませ!」、「ありがとうございました!!」のご挨拶を連呼します。 閉店後は諸先輩から言いつけられた雑用の数々を見様見真似に行い、バタバタしてますと終業時間(21~22時ごろ)。その後には連日歓迎会を催して戴きまして、1週目はアッという間に終了。
「こんな感じなら案外いけるかも。」な~んて、肩の力も完全に抜け、生来の楽観性から安堵した矢先のことです。

 初の洗礼はこの日朝の定例ミーティング時のことです。 支店長席の前に総務課や店頭に配属された同期入社の女子社員4名と共に整列させられて、S支店長の訓示を受けることになる筈でしたが、S支店長は突如、怒りの形相に変わり、大きな声で発せられた第一声がこれです!!
「こら!まつざきぃ~貴様、何を考えてるんだ。ふざけるのもいい加減にしろ!」 「直ぐに辞表出を持って来い!」 (・・・これホントの話です。 蛇足ですがS支店長の‟S“はス○○キさんの頭文字で、サディストのSじゃありません)

もし 貴方がこんなシチュエーションに遭遇したならば、どうしますか? 想像してみて下さい。 
瞬間、ポカン?ですよね。 
叱られるようなミスどころか未だ何もしていない訳ですから、思い付くのは、挨拶の仕方?もしや態度そのものが問題? イヤイヤ判りません。とっさに頭の中で浮かぶことといったら、取り敢えず謝っておくか?でもそれも違うな、などとスパコン並みにフル回転をさせたところが、返す言葉も見当たらず、ただ立ち尽くすのみでした。
これにはきっと深~い意味が隠されているのでしょうが、後日、インストラクターも誰もその理由などの説明は一切なくジエンド。 恐らく当社では取るに足らない日常茶飯事のシーンだったのでしょう。 しかし、本人はまったく割り切れません

 間も無くしてS支店長が当社管理職の中でも極めて稀少なタイプ、愚直でシャイで要はとても良いヒトだということが判りました。そうなると別の疑問?が湧いてきます。 
何故、そんな良心的な方が、同期社員の前でわざわざ恥を舁かせるような振舞いの意図は? その謎は何ぞや???

【余談】・・・・当社では当時の不文律的教義?として、こんな考えを度々教示されました。 
セールス育成初期段階の情け容赦ない言動の裏に存在する″意味“ ~これまでの人格構成要素(ヴィジョン・自我・プライド・理屈など)の中から当社営業に不必要なモノ一切を切り離し、所謂、人格の初期化を行い、当社向きモードにリセットする意図があるのだととの説明を何度となく聴かされたものです。
同業者やお客様からも良く揶揄される表現の一つに、『ノムラの社員は″金太郎飴”。どこを切っても皆、同じ顔』と、また社内で何度も聞かされたフレーズに、『頭を使うな(で考えない)、口と足と心で営業し』、また『商品や情報を売るのは結果であって、セールスは自分自身が商品であり、その自分を売り込み、信用を勝ち得ること』 などなど。 

 当社の意向としては、セールスマン全員の営業に関する姿勢・マインド・熱量などあらゆる要素をシンクロナイズさせて、効率的な協働体制を築き上げ、且つ同じ土俵上における社内競争を煽る意図で、セールスに対し先ずは自社業務理念を徹底的に叩き込むこと、これがノムラぼ営業戦士を育てる方針であったようです。 

振り返れば、S支店長のお怒りポーズも、そんな当社イズムの顕われの一つで、初っ端に私に対し活を入れて下さろうとする意味の言動だったのかも知れません。 願わくは、少しお言葉とTPOをお考え下されば、その演出効果も現れたのかなんて思わざるを得ません。 まあ、支店長さんも大変ですよね。 支店長のご性格にそぐわない恫喝場面に、その不器用な人間性が滲み出ており、サラリーマン管理職のペーソスさえ感じられる一場面と、今では懐かしく思います。

 Scene 2.
愈々、顧客開拓に入る外回り営業(外交)が始まり、営業セールスとしての ❝船出❞ です。
当社セールスは自分でお客さんを全て開拓して顧客化することが基本で、会社から付与されるとしたら潜在顧客対象リストの王道である高額所得者名簿くらいでしょうか。今は個人情報云々で廃止されましたが、当時は各地税務署管轄内の納税額1,000万円以上の方は名前も職業文字全て公表開示されていました。ホント、時代の移り替わりを感じる事象ます。  

さて置き、これから自分の営業の城を築き上げねばなりません。 ただし、証券営業には証券外務員資格という国家資格が必要で、その資格試験を受験しけ結果の出るまでの期間(1ヶ月くらい?) は有価証券の取扱いは出来ません。 

 【余談】・・・・当時、『インストラクター制度』 が敷かれており、新人セールスにとり、ルーキー・イヤーの1年は、公私併せて何事もインストラクター(同じ独身寮住まいで大体は2~4年次上の出来の良い先輩セールスがアポイントされる傾向で、私はK先輩のお世話になります。)の指示を仰ぎ、教えを乞い、また報告も含めすべての窓口となる重たい関係の教育担当上司になります。 この時期、新人は白紙状態な訳ですから、外交目標や方法などについては全てインストラクターに委ねられ指示を受ける事になり、その言葉に従うのみとなります。

K先輩からの最初の業務指示は、野村総合研究所発刊の『野村週報』というウィークリー投資情報誌(年間購読2,000円)の申込みを得る目的(口実)で外交をし、顧客対象と成り得るような社長さんやお医者さんにご挨拶をすることなのですが、これが事前アポイントも取らず(取れませんが)突然押しかけ面談を求めるという、所謂、‟飛び込み外交“というOJTとなるのです。 
そして目標内容は、「市内の企業と病院(当時の顧客対象は中堅企業オーナーと医師マーケットがメイン)を片っ端からローラー外交し、社長(代表取締役)と院長の名刺を1日最低10枚戴くこと集めるまでは帰社に及ばず!戻ってくるな!と、つまり支店に帰れないということです。 ~これもマジ、本気モードで、妥協の余地も見せてくれません。 

 指示はされますが、訪問・面談時マニュアルやセールストークなどのレクチャーなど一切無く、当然予備知識も希薄で対象見込み先資料も戴けません。何もかもが無い無い尽くしなのです。 こちらから質問はすれども、一言で「あとは自分で考えて自力で行動しろ!」と・・・何と放任というか自主性を重んじて下さることか、もう有難すぎて・・・へへへ、涙が出そう😢なくらいの悲壮感一色。 

 【余談】・・・・ 当社の営業セールスの鉄則というか一つの掟と言いますか、販売活動において如何に難しい題材であろうが、いかなる営業努力行った結果であっても、つまりプロセスはどうあろうと、『営業成果にゼロという答えは無い』 それは太陽が西から上るのと同じ様に在り得ないことで、絶対に在っては許されないコトとされていました。 例えば、株の予約営業ならば最低単位の1,000株、名刺集めなら例え1枚でも実の結果が在れば、後はそれに労力(時間及び頻度) を掛け合わせば、その積数によりで如何なる目標も達成可能となる理屈です。
つまり、ゼロは何十倍、何百倍を掛け合わせても答えは何も生まれない。最小の数字でも良いので兎に角結果を出すこと。~~或る意理に適っていますけど!

 毎朝、7時過ぎには出社し、定例ミーティングや当日予定の報告を済ますと、市内地図、名刺、週報数冊を鞄に詰めて9時前には支店を飛びだします(強制的に押し出されます)。 「さぁ~て、どないしよか?」 外交初日は支店から100m位歩いたでしょうか、メインストリートの一角に佇み、一応は作戦を考えてみます。 が、初の事でノウハウも何も無い袖は振れません。とりあえず居並ぶビル(と言っても、地方の田舎都市なので、高くても5~6階)に入居する会社を片っ端から訪問することにしました。 社長と面談し、名刺を戴くことがミッションとなりますので、頭の中でドアを開けた瞬間から一連の場面を想像し、トークの組み立てをしようと思いますが簡単には思いつきません。 まあ四の五の言っても始まらないと持ち前の『当たって砕けろ』精神で出たとこ勝負とフンギリを付け、いざ目の前に立つビルを見上ながらエントランスに足を踏み出して3歩目だったでしょうか・・・・・・・・突如として足が思うように動きません。突然の金縛り状態なんです。

 これまでの人生に無い体験で、何が起きているかも判らず頭の中は真っ白、いや恐らくはビビッて躊躇しているというのが本音なのでしょう。 頭では行くしかないと考えるのですが、心は付いていけず、身体も云う事を効かない状態で~~~~ そうですね、立ちすくんだまま20分も経ったでしょうか。 道行くおばちゃんが心配、いや不審と思って声を掛けてくれた途端に魔法は解け、スッと我に返れたのです。 この苦悶の時間という‟洗礼“を受けましたお陰でしょうか。妙に落ち着き、肝が据わった様な気がしました。 

それからは怒涛の如く、一心不乱に見知らぬ会社のドアを叩き廻り、受付で社長さんをお呼びするも退散すること数十回、はっきり憶えてはいませんが、おそらく6~70社ぐらいは訪問したような気がします。しかし、肝心の社長の名刺獲得は1枚も無く、課長や無役社員の方の名刺を集めても7~8枚、これが初日の無残な結果でした。
帰社後に報告すれば当然の如く1時間のお叱りタイムで身も心もボロボロに打ちひしがれてます。 唯一の収穫と云えば、、僅か1日ですが実際に外交し、色々な場面を経験出来たことで、自分の中で仕事という実感と対峙するヤル気の芽生えを感じられたことでしょうか。あの忌まわしい支店長罵倒事件でも何も受け留められなかった仕事に対する心構えを初めて意識出来た1日でした。 
まさに、❝百聞は一験(通常は‟見“の字ですが)に如かず の通りで、どんな素晴らしい教えを耳から学ぶことよりも、己で見て、肌で感じ、心に沁みる経験を通して、その真意が初めて咀嚼出来るようになるのでしょう。

その後1ヶ月の間は名刺集めの外交に終始します。単に歩き回り、お願いするばかりでは埒も明かないことも判り始め、無我夢中にもなれず、途方に暮れてしまいそうな危惧を感じ、自問自答の結果、辿り着いたモノが発想の転換?

自身で設定した自己目標をクリアするコト❞ ~簡単な話ですが、これならば自分を誤魔化したり、逃げ道を探る訳にもいきませんにで。  
肩書不問でとにかく数字に拘り、❝名刺1日20枚❞を最低目標に、日々達成することを自分に課した内容です。 これはインストラクターの意図とは若干離れ、小言を食らうのは必定なのでしょうが、それは二の次として意を決しました、この開き直りが以外と良い展開に繫がり、3週目ころには連日目標をクリア、その中には目的に適う肩書の名刺も数枚ございました。会社の求める内容には不十分の結果ですから、帰社後の外交報告後の説教タイムは続きます。

【余談】・・・・当社における‟営業報告“=‟実際の成績数字の成否を問い、営業目標達成の為の具体的な数字の詰め“のミーティング(セールスを与えた目標数字に達するまで追い込むとも解せます。)というフォーミュラです。 この手の営業打ちあわせは、朝から晩まで日常ルーティンとして規模の大小は問わずに社内の至るところで行われ、下手すればお客様対応に係る時間の数倍の時を費やしていた様に思います。

外交に関しましては、有難いことに周囲の諸先輩方々が我がもの顔で、ご自身の成功談や時には有益なアドバイズをしてくれます。
「雨の日は傘を差さずにずぶ濡れ状態で、暑い日には汗を顔中に照らし、何なら水道の水で顔を濡らしたままで顧客訪問を行うと効果的な演出となり、特に台風の日の顧客訪問は千載一隅の外交日和とおっしゃいます。要は、「それ程までにして自分に会いに来てくれたのか」という情に訴え、熱意で相手が絆される当社基本の作戦の一つです。
要は、専門知識も経験も無く、何の取柄も無い一介の新人セールスが自分を売り込む手段を考えるとすれば、お客様の心情に‟愚直なまでの熱意“を訴える点に勝るものはありません。 我々の顧客ターゲットに置く、″会社経営者”の皆さんは丁度、我々の親世代かそれ以上のご年配者でありますから、駆け出しの兄ちゃんが一心不乱に訳の判らない事を言って来るとすれば、それが本当に馬鹿っぽく見えたとしても、その直向きさや燃え盛る貪欲な気配はお客さんに伝わるケースが結構あるのです。
~また諸先輩はこうも言われます。″社長“は努力と苦労を重ねた若い時分の自身の姿をセールスに重ね合わせてしまい、一種のノスタルジーや絵も知れぬ共感や感動が醸成され易いのだと、また自分の子供や同世代の一般の若者と見比べることも、その悲哀漂う働きぶりや佇まいに対し、或る意味で同情心を惹き起こすことに繋がると。~~もうこれは場末の三文芝居小屋で催される講談の人情噺の類いと変わらない境地ですね!

Scene 3.
そうこうしてる間に外務員試験合格(当時の合格率95%で、落ちたらクビと言われてました。実際に同期2名が落ち、全支店にテレックスで名前を発表される憂き目にあってます。 こんな会社です。やらかしますよね~)の連絡が入り、愈々、卵から孵化する時期となり、これからは証券セールスとして株式や投資信託といったリスク商品の販売営業を始めます。その日から新人セールスにも当たり前の様に株式セールス・コミッション(売買手数料)や毎月募集されるファミリーファンドという悪名高き投資信託の募集額の達成目標 (ノルマに限りなく近く、先輩セールス一人平均のおおよそ半分程度の数字です。) が与えられる宿命にあり、その目標を達成することが今後最上位のミッションとなるのです。

この頃から、少しずつ‟同期の桜”の花びらが散り始めている知らせを同期からの社内電話で知ることになります。正直言って複雑な心境でした。同時期に同じ苦労や様々な思いを共有できるのは、何と言っても同期入社の連中なはずです。あんな元気溌剌だった奴なのにどうして?!!・・・・・正直言って、ちょっと心が折れかけそうにもなるのです。 
そして2年を過ぎる辺りでは、200名の同期生が半数を切る状況へとなってしまいます。 その頃には同じ出身大学の同期6人の内、既に3名が退社、1名は留学生試験を経て幸いにも営業戦線から撤収していました、 しかも辞めた内の2名は、日本拳法部と弓道部という体育会の主将を務めていた猛者で、リーダーシップもガッツも備わり、性格も真っすぐなナイスガイでした。 
 早々に退社した同期を一概に括れはしませんが、俯瞰して判断するならば、総じてマトモなタイプが多かった印象です。皆、それなりに苦悩の日々があったのでしょう。一方、継続組(自分も含め)の大半は、個々の性格的要因もあるのでしょうが、仕事環境の面での恩恵や周囲の庇護を少なからず賜っている筈で、精神面で非常に大きな支えとなっているラッキーな情況に在ったのだろうと思わずにいられません。 余計に一つ加えますと、残る同期連中は当社気質にフィットするタイプ、鈍感力の強いタイプ、体内神経が何本か欠けるタイプの何れかに当て嵌まりそうな感じです。

さだめ(運命)があるとすれば、それは自分の力だけでは決められず、その人間の持つ″運“のようなものや巡り合わせなど、まさに神のみぞ知るの世界ではないでしょうか? 我々が出来ることは、今居る場所で出来ることに精一杯取り組むことしかないと云うシンプルな話です。 

漸く、入社後3ヶ月目に入った辺りですが、文才が無いばかりにワード換算5枚(1投稿の目安)を超えちゃいました。 兎に角、一番熱い日々を過ごした時期ですので、思い出というかその頃の残像が次々に湧き出してしまい、取捨選択すれども気が付けばこの有様です。 続きは次号にさせて戴きます。 最後に・・・・・・・・

●  Today’s message   オジンの戯言~

❝取り巻く環境や周囲の助けがあればこそ、自分が生かされる❞
❝今、自分が出来ることに最善を尽くし、後は天命に従う❞
❝ゼロを何十倍、何百倍を掛け合わせても答えは何も生まれない❞
❝百聞は一験(見)に如かず❞
自分自身で設定した自己目標をクリアし、その事に達成感を持つ❞

Qwintet life
16件
岩尾俊兵
2020.02.27

まさしくドブ板営業ですね。この修羅場営業を乗り越えてからこその今の松﨑さんなのですね。
ゼミ生でも4月から証券会社に就職する男子学生がおりますが、彼もPandoを始めましたので、さっそくこの記事を教えました。

松﨑 誠
2020.02.27

岩尾先生、
コメントありがとうございます。
誰のために書いている訳では無いのですが、あるとすれば就職したてやこれからといった若者にお読み頂き、『温故知新』の題材と成れば本望です。

岩尾俊兵
2020.02.28

ご返信ありがとうございます!
温故知新は学びの基本ですね!

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