真っ当であり続けるために

そうあるためには、誠実であること、真摯であること、騙さないこと。などいろいろ要素はあると思います。

私は例外もありますが、自慢話を言うのも聞くのも苦手です。

自慢話を語ることで、自分の価値を示したい、もしくはモチベーションを保つための行動などいろいろ理由はあるかと思いますが、

客観的に明らかであればいいのですが、多くの場合そうではないことが多いため、その行動は私にとってまったく逆に働くことが多い。

それより自分の弱点を認めることができ、得意とする分野を愚直に実行する人が私は好きだし、一緒にいて心地良い。

見えないところでの光る努力。当人は偽りの光を求めているのではなく、役に立つために自分のすべきことをただ愚直にしているだけ。

その行動はいつの日か結果に繋がり、光り輝いて他人に映るのかもしれません。

要領が良いこと。効率よく結果をだすこと。

それをできることは一つの能力だと思いますが、私は泥水啜って、悔しい思い、失敗を重ねて這い上がってきた人が好きだ。

要領の良さを武器に世渡りする人の話は、私にとってはとても軽い話にしか聞こえないし、重み、厚みがまったく感じられない。

結果として多額の収入を得ることができれば、勝ち?

そんな結果を出したことがないので、やったこともない私がとやかく言える立場ではないが、泥水すすった人が要領を得た状態は成長と思う。そうありたいし、そういう人と繋がりを持ちたい。

楽をすることは決して悪いことではない。めんどくさいと思うことは誰にでもあると思う。

人は自分にない要素を否定し、自分の持つ要素を肯定してもらいたいという欲求が大なり小なりあるはず。

私のこれらの想いは、自分自身が矛盾することを避けるための防衛反応でもあると思います。

素敵な人に囲まれて生きることは幸せで、さらに自分が共鳴しあえる存在であれば、それこそハッピーでしかない。

許せること、許せないこと、譲れること、譲れないこと、称賛できること、否定すること。

価値観の違いで大きく乖離が生じるかと思います。

私が真っ当でありつづけるためには、私のマインドにもある調和性から目を背けることはできないわけで、私が意識的に望まないようにしても、ストレスが生じるため、結果として自分の性質に折り合いをつけ収束されていくと思います。

この折り合いの付け方は重要で、適当だと悲惨な結果が待ってるはずです。

自分の弱さを認め、強みをどう伸ばすか

人は本質的には変わらない?変われない?だから、新たな能力は自分の強みを活かしつつ、持ってない要素とのバランスを保つことで手にいれれると思う。

そして、行動にどう反映するか。
行動で示さない限り、机上論を語ることは少し勉強すれば誰にでもできること。

私が入社したころのクインテットは

「消費者、クライアント、クリエーター、社員、株主の五重奏でハッピーなスパイラルを創り出すリアルインターネットカンパニーを目指す」と掲げていました。

消費者と企業をハッピーにつなぐビジネス

一連の消費行動の流れをトータルでマネージメントすることでミッションを達成する。

その当時、この一文に強く共感した記憶があります。

私の思う「真っ当なこと」の定義は、入社当時と比較して良い意味で変化はしていると思います。

この10年間たくさん失敗もしたし、ご迷惑もおかけしましたが、その過程があって、私が思う「真っ当なこと」はより洗練されたものに育てていただけたかと思います。

自分が味わった失敗、成功体験をフラットに若手やチームに伝えていくことで、自分も学び、全体としてより良い環境を創っていきたいと思う。

Qwintet life
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