雑念を捨て、大道を生きる

大道廃れて仁義あり、と言う言葉がありますが、随分と以前から、恐らくはいつの時代も、大道を生きたいとの願いと、雑念との葛藤の中で、人類は歩みを続けて来たのだと思われます。


自然界の法則、この世の中の性質に則って、人間の生きる上で大切となる道理、そこに則って生きようとする努力こそが、人が人生を謳歌する上で何より大切なことと私は思い、そうであれるように努めていますが、思いのほか容易ではなく、その為に日々鍛錬が必要とされます。常に大道から外れてしまいそうになりながら、自らの歩みを軌道修正していくことでやっとの状態が現実です。


保身を優先してしまう反応、格好つけたくなる気持ち、都合の良い解釈で正当化してしまう習性、自分を偽って楽な道を選択してしまう心、そうした雑念を捨て去ること無くして、大道を生きることが難しいのが人です。


私は自然と触れ合うことが好きですが、生きとし生けるものの本来の営み、この世の中で、地球上で行われている雑念の極めて少ない物質、生命の営み、サイクル、変化を感じる時間の中で、雑念を捨て、後世が生命としての人生を謳歌できる時代への貢献について思いを馳せます。


生命に人に共通の性質の上に、私という人間が生まれ持った境遇や特性という他との微かな違い、その人生の歩みの一歩一歩に降り注ぐ多くの偶然を眺める時に、自らの天命が少しずつ輪郭を現し、窺い知れるようになって来ました。


事業を営み、仕事に取り組む上で、当然ながらそれは人生の全てに共通して言えることですが、どんなテクニックやスキルを習得するより、普遍的で人が豊かに生きる上での基盤となるものが、世界の営みを知ることであり、大道を生きることに他ならないと思っています。

人として、大木が大地に根を深く下ろすように、自分自身の揺るがぬ根幹を持ち真っ当に生きる、大道を生きることを中心に据えることこそが、何よりも強く人生を謳歌する上で大切なことであろうと思います。


代表メッセージ・社史
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