『 三つ子の魂、百まで 』

今年もあっという間に2月に入り、吹く風の容赦ない冷たさも、生きている証と思えば心地良くも感じる季節です。

唐突ながらショート昔話を一席。
私が高校1年の2学期終業の日に、当時の担任で物理専任教師のT先生(当時、50歳前後の地元大名重臣の家柄のご出身だそうで、独特な個性の方でした。)が、冬休み、つまりクリスマスやお正月を目前にして浮かれまくっている我々を前に、こう告げられました。

「一休和尚の吟じた名句の一つに、『正月や、冥途の旅の一里塚』があります。皆さんには余り実感の湧かないものでしょうが、要は、誰でも当たり前に歳を1つ重ねる訳ですから、君らみたいにのうのうとしている内に人生終わってしまうのだから、この冬休みも一日、一日を無駄に過ごさないように!」
その時は、ホントに何も感じず聞き流した筈だったのですが、丁度その当時の先生のお歳に近づく辺りで突然、そのフレーズが頭を過り、未だに年の瀬になるとその場面を思い出すのです。そんな時に何時も感じることは、時間の大切さがやっと身に染みて理解できるとうになったことと、もう一つ、30年経っても風化せず人の心に甦る、❝言葉の生命力❞にはただただ恐れ入るばかりということです。 投稿自体の意図も、皆様に読んで頂ければ、それに越したことはないでしょうが、❝言葉を遺す❞という意義も価値あるものと信ずるところです。

 『三つ子の魂百まで』
この格言における、‟三つ子“とは物心が付く幼少期、2~4才あたりを意味し、‟魂”はその時期に培われた人格(後天的な性格を指し、他方、人の性質とは先天的に構成されたもの)の土台を指し、その大もとの部分は一生の間に継がれていく意味を顕すフレーズです。

思いますに、晩年における‟1時間″と、若者の持つ‟1時間″は物理的には同じ価値のものでありますが、されどその中に含まれる、とりわけ脳内や精神上に齎される物量や距離感、変化率などで圧倒的な違いを持つもので、ましてや生まれてから物心の付く期間である″三つ子“における1時間は、さながら‟dog year″と遜色ないスピードで、五感からあらゆるものを吸収してしまう程の想像に絶するキャパシティを擁しているのでしょう。 
そして肉体面の細胞群の活動レベルも、年齢ごとに異なるスピードをもって分裂・成長をするのですが、・・・・・たとえ話で、怪我をしますよね。若い時分に外傷を請けても2、3日で治るモノが、今はその治癒に数週間を要しますし、悲しいかな、何某かの跡が残り元通りには復元いたしません、
(ほんのちょっと、豆雑学~~~~~人間の細胞の先にあるテロメア成分が分裂するたびに小さくなって行き、亡くなると天国?に召されるそうです。逆にこのテロメア成分量を維持することが可能になればアンチ・エイジングに繫がり、もし再生増殖出来たとすれば、人類最後の野望と云える‟不老不死“に近づくというもので、この研究開発に当たっている欧米科学者3名は、確か10数年前にノーベル化学賞を受賞しています。因みに、一生におけるヒトの細胞分裂の回数には上限があるそうですが。)

晩年に片足突っ込んだ私としては否が応にも肌身で痛感せざるを得ないのですが、一方、若い皆さん方は、肉体面も健全にあり、更に脳みそに関しても細胞分裂が最も活発な時期にある訳ですから、(また蛇足ながら、活性レベルは時間経過と共に間違いなく落ちていく筈なので)その恵まれた脳環境に在る間に是が非にも、貴方が自由に掌る1時間、1日の貴さと重みを感じて戴き、「容赦の無い位、一所懸命に過ごして頂きたい!と、心から切に願うところです。

 マクラ部分が長くなりましたが、前回投稿まで私なりの『信条』や『スタンス』について軽く触れて参りました。 さて、このあとは?と考えてみまして、初回に掲げた順序からいきますと、Episode-2:ファミリー・ヒストリーと幼少期、3:人並みに青春を謳歌した学生時代(今更ながらダサいタイトルですなぁ)の順となりますが、❝パンドゥ❞がいくら鷹揚でキャパシティのあるSNSとしても、公のプラットフォームでもありますため、パーソナル臭が強すぎるため皆様へ公開するのも烏滸がましく憚れるものと考え、何れどこかで触れることも在るかと思いますので、これら2題については一旦、スキップすることにしました。

次のトピックは !?
最近、頓に耳にしますのが、新卒就業3年目以内の30%近くの方が、離職・転職されている実情という風評を何です。 
まあ何とも嘆かわしい時代なのか、もちろん人それぞれに色々な事情があり、人生に期するものや考え方など当然に様々、千差万別であり、また飽食な時代にあって選択肢も沢山あるのでしょう。 一概にどうこうと話を括ることは乱暴極まりないとと自覚しているのですが、、ホントに余計な一言となるっかも知れませんが、敢えて申し上げたいことは、やや大袈裟ですが・・・・・、
この3年間の過ごし方が如何に大きな価値を持ち、その後においての道標とも、ひょっとすれば人生終焉を迎えるまでの人生の糧となる』と云うことなのです。

 
卒業し、社会人デビューして最初の3年、これが掲題に絡む、‟社会人における三つ子”に相当すると考えられますね。
 その期間に知る、学ぶ、経験する、考えること、その他全てが、その後の社会人キャリアの礎を創り上げる構成要素と言える位のものと。 新入社員は人間ならば生まれたての赤ちゃんであって、物心の付く幼少期をどの様な環境や人々に囲まれ、どんな食事をして育つのか、どんな言葉や習慣・行動を学ぶのか、そういった後天的要素の違いに加え、そこに各人の異なる性質が掛け合わさるのですから、例え同じ環境で育ったとしても受留め方、リアクション、その後の顕われ形は百人百様、つまり反面教師的な教えが多々出没して参ります。)同じものには決してはならないもので、それが人それぞれの個性と云う事になるのでしょうか。

一方、目線を変えれば、新卒者の受け入れ側の企業の受け容れ体制も重要なポイントとなります。 何せ、幼児を預かり育てる責務があるのですから。 それぞれ違った個性を伸ばし育てねばなりませんので、本来は新入社員一人一人に合った個別対応や研修カリキュラム、また特性に応じての適性人事などを考えられるならば理想的といえるのでしょうが、多くの大手企業は企業論理や固定概念から、中堅・ベンチャー企業であれば、当該に割く社内リソースが限定的なため、そのような‟神“対応の企業は滅多にみられるものではございません。 

ここで新卒の皆さんに申し上げたいことは、
『会社の処遇・対応など多くを期待したり、先に何かを求めるコトでは無く、❝会社が自分に何を望み求めているか、そこで自身は何をしたいのか、また成すべきか❞』を真摯に考え、自分なりのスタンスをきちんと確立させる。』・・・・・これ簡単では無いのですが、ホント大事です。実践出来れば、主導権は貴方の手に在り、会社側の新人対応方針に一方的に依存することもありません。
就活に臨むうえで、ぜひご自身の明確な意志・目的・方向性など出来る範囲のモノで十分ですから、それを右手に握りしめ、左手は貴方の夢やビジョンの御旗を掲げ、そして両手を交差する形で企業側と向き合うことが大事と思うのです。あくまでも主役は貴方なのですから。

最後に今回の本題としまして、
これから数回の投稿にて、進化著しい時期におられる若者の皆さんに何かお伝え出来ること無いかな?・・・などと考えてみました。 余り教訓めいたことは言いたくない性格(自分が否でした)なので、それじゃぁと、私の拙い体験、新卒、入社新米ビジネスマンとしてデビューし、20代の多感な時期に身を置きました会社シーンを背景に、そこで巻き起こった幾つかの事象ふりかえりつつ、そこで得られた経験、生きる上の知恵や戒め、教訓などを気張らずに、出来る範囲の肉声でお伝えしてみようと思います。
 ほんの僅かでも、皆さんに何らかのメッセージやヒントになれば~‟これ、いと、嬉し!!!!!“~誠に幸いですが、ちょいと悲惨な過去に纏わる題材の為、ここは思い切って、恥部を曝け出す覚悟をもって・・・・・

演題は、
『昭和の証券市場を席捲、 実録・野村證券』

【始めに、お断り(disclaimer)を申し上げます。】
これは、事実に即した内容描写とは言え、時効期限も遥かに飛び去った大昔の戯言の様なものです。また登場する企業や関係者の名誉や誇りを誹謗中傷する意図はさらさら御座いません。寧ろ、私自身が社会人としての常識や躾を身に着けさせて戴いた学び舎で、‟育ての親“と言っても過言に非ず、とても大切な存在として心に棲み続けており、敬意を抱くに止まない存在と認識しています。
・・・・・しかも40年ほど昔の起きた遺物的事象となります、現在からみても ‟セミ・フィクション“ 程度のモノとご理解願えれば幸いです。 それでも驚愕、戦慄、ネガティブ、果てや異論オンパレードとなる懸念もあり、私に対する皆さんの視線が氷点下に落ちるかも的リスクを感じつつ、なるべくマイルドな表現に努める所存にございます。

来週から封切りとさせて戴きます。(何か、三文小説っぽくて、パンドゥの投稿文には相応しく無いのかなぁ??と躊躇気味ながら・・・・・・・。変態性向の強めの方は、乞うご期待!!

Qwintet life
16件
松下 耕三
2020.02.11

私も楽しみです!!

岩尾俊兵
2020.02.07

読んでみたいです!

関連記事