心の底から納得できる自分であれるとしたら、それはどんな自分だろうか?

人はたまに今日が人生最後の日だったら何をするかとか、3ヵ月後に死ぬのが分かっていたら何をするかといった仮定を置いて考えることがあります。確かにそのように問われると、自分が本当にやりたいことが出来ているのか、本当にやりたいことって何だろう、といったことが頭に浮かんでくるもので、改めて自分の人生って何なんだろうかと思わされるものです。

人は明瞭な意識を宿す生き物であり、認識にのぼる対象を解釈しようとする性質が宿るが故、この不思議な自分という存在を何者として認識するかというところから逃れることが出来ません。

『心の底から納得できる自分であれるとしたら、それはどんな自分だろうか?』

この問いは、私の中で最も重要な自問自答の問いです。この問いへの答えは、自分自身の内なる声に耳を傾けることによって出てきます。私達自身の内なる声が求める自分自身を自覚するための問いなのです。

心の底から納得できる自分であれるように、その方向に向かって生きられるなら、人は自分自身という存在を心から歓迎できるでしょう。

私のプロフィールにあるマインドは、私が私自身に対して、心から納得できる自分であれるとしたら、どんな信念を貫き、どのように世界に向き合える自分だろうか?という問いへの答えとして書いたものです。

なので、このようなマインドを貫くことが私の心からの納得と充実に直結しています。そして私が私自身であるための揺るぎない基盤となっています。

私のビジョンは、私が私自身に対して、心から納得できる自分であれるとしたら、どんなことを成し遂げ、人類の未来に貢献出来る自分だろうか?という問いへの答えです。

なので、このビジョンに向かう時、私の魂からエネルギーが湧き上がります。

心の底からから納得できる自分が貫こうとする信念や、成し遂げようとする未来への貢献が完全に同期する時、それこそが私達の使命になります。

これからどのように環境が移り変わっていこうとも、この人の本質は変わらずにこの世界に横たわっているでしょう。

 

働き方改革、ということが言われて随分と経ちます。働き方における課題というのは、過重労働や残業時間の問題なのでしょうか?ハラスメントの問題なのでしょうか?ライフワークバランス?なのでしょうか?働き方の多様化に関する問題なのでしょうか?

表層的な課題も確かにあります。それらが課題でないとは思いません。ですが、そうした働き方の話題の中に、本質が抜け落ちているように感じるのは私だけでしょうか?

私は人の働き方の原点は、心から納得できる自分であれるとしたら、どんな信条を持って、どんな仕事に、どのように取り組む自分であるか?ということへの答えを持つことなのだと思っています。

その問いへの答え無くして、どんな名声を得られる仕事も、どんな脚光を浴びる仕事も、人に羨ましがられるような仕事も、生き甲斐に繋がる仕事にはならない。

どんな地味な仕事でも、目立たない仕事でも、この問いへの答えとなっている仕事であれば、誰もが心の底から自分自身の仕事への責任を引き受け、充実感を持ち、知恵を振り絞って働ける地点には至れるのではないでしょうか?

そんなことを強く感じる今日この頃です。


代表メッセージ・社史
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