破壊的イノベーションの創出 ムーンショット目標について

先日、福岡でゴルフに行ってきました。一年でも一番のゴルフ日和で、最高のリフレッシュになりました。コロナ禍の話題が多い中で、一つムーンショット目標についてのお話しが出ましたので、今日はそれについて私の意見を書きたいと思います。

ムーンショット目標とは?


ムーンショット目標

1.2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現

2.2050年までに、超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現

3.2050年までに、AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現

4.2050年までに、地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現

5.2050年までに、未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食料供給産業を創出

6.2050年までに、経済・産業・安全保障を飛躍的に発展性型汎用量子コンピュータを実現

提言元である内閣府によると、このような内容になります。
自ら破壊的イノベーションと言っているくらい、私にとっては破滅的な臭いが漂いますが、いつものことながら、何かやっている感を出そうという政治、行政のパフォーマンスかなとも思います。とはいえ、コロナ禍を経験した状況下において、こういう発信が元になって、そうした機運が高まる、人々に影響を与えるのもまた有り得ることではあるでしょう。

■最終的に目指すものは何か?
民主主義国家において政治や行政が目指すべきものは、国民の幸福です。より多くの国民がより生き甲斐を感じ、人生を充実して送れる社会の構築の為に、法律と税金を使って国家運営を行う仕事です。で、現実はそうなっているでしょうか?
もちろん、それなりに良い社会の中で暮らせているので、法と税金の用途の全てが良くないというわけではありませんが、常により良くを目指さねばなりません。子供達やこれからの世代に対しての責任があるからです。2050年以降を生きる人々が、私達の目指したものの恩恵を受けて、幸福に生きられていると実感してもらえる社会を構築することを目指さねばなりません。

■テクノロジーは希望か悪夢か?
テクノロジー自体は可能性を拡大させる技術でしかありませんので、それ自体が人の幸福を約束するものではありません。核エネルギー技術はまさに破壊的なイノベーションと言えるテクノロジーですが、驚異のテクノロジーほどに、人の手に負えない破滅のリスクも背負わされます。とはいえ、テクノロジーの進歩を止める術はありません。人が手にし得るテクノロジーが掴めるチャンスがあるのに、掴まないということはないでしょう。
常にテクノロジーは進歩するほどに有用性も高いが、リスクも高いということを前提に社会を運営していく必要があるだけです。つまり、破壊的イノベーションのセットに、どのようにテクノロジーを運用することが出来る人類、社会とするかが問われます。
それがなければ、テクノロジーは希望の顔をしてやってきて、悪夢のような破滅をもたらすことでしょう。

■人が身体(脳も含め)、時間、空間から解放された社会
私は身体、特に脳に制約を受けており、解放される必要があると感じてはいませんが、人の身体能力を超えて出来ることを増やす、空間の移動距離を減らす、もしくは無くす、ということは、これまでも人類がやって来たことなので、その延長でしかないでしょう。しかしながら、ここでも注意しなければならないことは、人の持つ能力が劣化しないことです。脳の制約からの解放の中にストレス耐性という言葉も入っていますが、テクノロジーでストレスから解放されるなどというのは、新たな幻覚剤でしかありません。ストレスを受けながら克服していく過程を経てしか、人は人類の幸福に寄与できる人格の形成は出来ないでしょう。そして、自らの存在意義を感じながら、生き甲斐を感じることも出来ません。良いことばかり言って、期待を抱かせようという政治的、行政的なパフォーマンスはやめてもらいたい、もっと真剣に、ある意味深刻に向き合ってもらいたいと思います。

時間の制約から解放される、そんなことはあり得ません。常に脳が感じる時間は同条件であって、過去にどのようなイノベーションもそれを解放したことはありません。時間感覚も脳が感じることではあるので、幻覚であれば可能とも言えなくはないですが。脳自体を遺伝子操作等で強化するのであれば、話しは別かもしれませんが、それはもうホモサピエンスではないかもしれません。私は個人的には、私の子も孫も子孫も、ホモサピエンスとしての幸福の中で生きて欲しいと願うので、あまり人体自体をいじるのは望みません。自然がこの世界の性質の上に絶妙なバランスで生み出した生命体を改造するのは、我々にはまだ時期尚早な危険なものであるでしょう。まずその前に、人とはどのような生命体であるのかということを人々が知り、未来を選択できる状況を構築するのが先だと思います。

■安全確保とは?
常に安全は確保されていなければならないと私は思っています。当たり前のことですが、危険な状況を子供達に残そうと思う親などいないでしょう。社会的な判断はそれの延長にあるわけですから、安全を見極めながら利用することが必要です。
バイオテクノロジーも、量子コンピューターも結局は原子力発電と同じく、安全の問題です。2050年までに大地震が何度か来ます。富士山も恐らく噴火します。
福島の原発事故も未だ解決できていません。未来の驚異的なテクノロジーが何とかしてくれるよ、という楽観の中で進んでいるだけかもしれません。
アインシュタインの言葉の中に、『いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできない』というものがありますが、まさに驚異のテクノロジーが産み出す問題を解決するのは、非常に困難なものなのです。
安全確保の為のテクノロジーと言えば、大義名分のように見えますが、そのテクノロジーがより大きな危険を生み出す可能性を見極めて、事前に対処する必要があります。

■AIの進歩は歓迎されるか?
驚異の人工知能、それを搭載する強力なロボットが創り出されたとした場合、それは人類の未来にとって歓迎すべき事態なのでしょうか?最大の脅威はそこにあるかもしれません。どのような意思決定を行う知能として開発されるか次第です。目的をどのように持たせて創られるか次第なのです。人や生物はその種を残していくということを最大の目的として創られた生命体ですので、人が人に危害を加えるということは稀ですが、如何に高性能で強力なAIであっても、目的が人にとって有益なものとして入念に設計されたものでなければ、人に危害を加える存在となるでしょう。
結局は、人を知る、人の性質を知る、その真理を知る、ということをもっと進めていかなければ、人の手を離れるテクノロジーほどに脅威となる可能性を持つことになるでしょう。

■優れた社会基盤、人が生きる環境、つまり教育の整備が必要
私の目指すところは「後世に素晴らしい時代を残す」という人として当たり前のことです。なぜかと言えば、そんな当たり前のことが後回しにされたり、ないがしろにされて、今さえ良ければいい、自分さえ良ければいい、という考えが、結局は将来の今を良い状況としてくれず、将来の自分を良くしてくれないという結果を繰り返す人々の生きる環境が横たわってしまっているからです。驚異的なテクノロジーを止める術は無いと断言できます。それは人には出来ないことです。手に出来る可能性を前にして我慢するなどできません。
であるとしたら、それを有用な形で生み出し、運用できる人々が存在できる社会を構築することが必要不可欠なのです。

常に人々が自分自身の真の幸福を見定めて、人生を地に足を付けて力強く歩み、人類の叡智を学びながら、手にしたい未来を描き、それを掴みに行く、その全力で生きる生き方の中でこそ、いま楽をして将来につけを回すのではなく、今苦労しても将来につけを回さないという社会のサイクルを構築していくことが出来ます。

私達の未来に決して諦めてはなりません。一人一人がより良い未来の構築に向けて、チャレンジしていくことが何より大切です。困難で骨の折れるチャレンジであるほどに、人生を豊かにし、未来をより良く出来るものです。
人の社会の中で最も強いものは、一人一人の意思です。一人一人が本気で目指すものです。一人一人が諦めず、妥協に屈せず、より良い未来に挑めれば、それが世界を変えていく唯一で最大の力です。

破壊的イノベーションが破滅でなく、より良い未来の構築に向かえるよう、取り組み続けたいと思います。

代表メッセージ・社史
55件
岩尾俊兵
2020.05.09

テクノロジーの進歩は止められないからこそ、それを使う側の人間社会のあり方が求められるということですの。ちなみに地に足のついたテクノロジーというのが私にとってもテーマです。

一方、ムーンショットのようにパッと見ですごそうなことを言えば株価が上がったり注目が集まったりする現在があるせいで、奇をてらって一発ヒットを目指す風潮が出てきたのかなと思います。

武藤 英之
2020.05.08

私も賛成です。ムーンショット目標は、どこか没人間的で、本来主体であるはずのひとや生物、そして地球が、わきに追いやられている気がします。
ITの脅威は、近い将来、人をも簡単に殺戮しうる可能性を秘めている。だからこそ、いつでも主体は人々の幸福でなければいけないと思いました。

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