可能性の扉をひらく

人がより良く生きられるとは何か?

それを伝えることはなかなか難しい。

もちろん一つの正解があるわけではなく、人それぞれがユニークな存在であり、一卵性双生児ですら、同じではないように多様性がある。一方で人という生き物に共通する性質からすれば、ある程度、その多様性には範囲がある。

私は、その範囲についての見解をお伝えしながら、それぞれに固有のより良く生きられる生き方を、特に若者達には人生の歩みの中で見出してもらいたいと思い、事業に取り組んでいる。

より良く生きられる、その範囲、枠組みとは何か?

楽しいと感じられること、喜びを感じられること、殆どの人が楽しさも強く感じられた方がいいだろうし、より多く感じられた方がいいだろう。喜びも微弱にしか感じられないより強く感じられた方がいいだろうし、より多く感じられた方が良いだろう。

それは納得感とか、自信とか、充実感とか、活動のやり甲斐とか、達成感とか、それらの集合である生き甲斐、そうしたポジティブな感情において同様に当てはめられるだろう。

それが大多数の人に共通しているとすれば、それが私のいう範囲なのだ。その範囲の中は多様な違いがあって、誰一人として同じではない。

喜びを掘り下げて、私にとって喜びを強くしたり、より多く感じられたり、広がりを持って感じられたり、一瞬で消えゆく喜びではなく、心を満たし続けてくれたり、そんな喜びを手にするには、どのような自分であれば良いか?

それが自分をより喜びに満ちた生き方に導いていく為に考える必要があることだ。人生のハンドルを自分で握るということだ。

志があれば、喜びは強くなり、多くなる。それが本物の志の証だろうと思う。

何かのきっかけがあって、病気に苦しむ子供達を助けたいと医師を志す人がいたとしよう。

人生に目的を持つことが出来たからこそ、学びはその目的を叶える為のものとなり、学び甲斐をもたらすだろう。医学部に合格した時の喜びは強く感じられるだろう。子供達の為に医師としての仕事に取り組む日々は、やり甲斐をもたらすだろう。そして病気を治して、子供達に未来を届けられた時に強い喜びを感じられるだろう。

その喜びの影に、積み重ねた努力があり、苦悩もあり、悲しみや悔しさが刻まれていることだろう。

けれどその努力も苦悩も悔しさも、消してしまいたいような情け無いものではない。多く傷跡は誇れるものではないとしても、納得できる人生の証だろう。

その志が叶わないこともあるだろう。それは決して人生を否定するものではない、情け無いものではない。そこに本気で向かっていれば、その志にも広がりがあることに気付けるだろう。

子供達の病気を治す医師にはなれなくても、その元になっている子供達がより良く生きられることへの貢献ならば範囲は広いのだ。

医師にはなれなくても、志は続いている。人生の中での出来事によって志が大きく変わることも良くあることだ。そうなっても志を持って挑んだ日々は新たな志にとって無駄にはならない。

そんな本気の志を見出すのは信念を宿した魂だ。どんな自分を貫くのか?そこからより良く生きる扉は開かれる。自分に宿された魂が持って生まれた可能性の旅が始まる。

誰もがそのような人生を送ることができる。その可能性は明らかなのに、私達はまだその可能性の扉を開く社会を見出だし創ることが出来ていないだけだ。

Pandoに本気のビジョンとマインドを記すことは、その可能性の扉を開く。1人でも多くの若者達の可能性の扉を開いていきたい。

れな
2021.04.26

人がより良く生きられるとは、目標を達成させて自分に自信が持てるようになる事だと個人的に感じました。
学校の先生方も、生徒たちへ上手く説明するのに苦戦していた頃を改めて思い出しました(笑)

松下 耕三
2021.04.27

目指すものがあって、努力することが大切なことかと思っています。少しでも納得できる日々が送れるように、お互いに頑張って参りましょう!

神徳 紫
2021.04.24

本当にその通りですよね😊
たとえ話がとてもわかり易くて、読む人の価値観によってあらゆる角度から捉えられますので、正解も求めやすい方でも腑に落ちる内容だと思いました!!
私も学生に伝える立ち位置に居ますので、学生にとって腑に落ちやすい例え話を入れつつ人生について話をしていきたいです😃

松下 耕三
2021.04.26

コメントありがとうございます!
伝えようと思って例え話しを考えると、自分でも理解が深まる感覚があります。人は事例によって理解しているということなんでしょうね😊

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