小さな勇気の選択

44年の人生の中でいろいろなことに遭遇し、様々なことを考え、選び取り、活動してきた。

その中で一番考え続けてきたテーマは、人がより良く生きるとは何か?というテーマだろう。

それそのものは至ってシンプルで難しくはないことだ。人が持って生まれた性質に従い、この宇宙、この世の中の摂理に従って素直に生きること。神なき時代の新しい神がそこにあり、その導くままに素直に生きられればいい。

より良く生きるとは、自然の摂理が描き出すものであって、人の本能に刻まれているのだから。

そんな当たり前のシンプルな理屈も、実現するのは容易くはない。その実現方法を、その具現化する方法を考え続ける日々を送っている。

私は、より良く生きるを手にする鍵は「意志の力」、そしてそれが選び取る「選択」なのだと考えている。今、何を選び取るかが、私達のより良く生きられる人生の扉を開く。

私達には意志による選択という他の動物と大きく異なる特異な性質が宿っている。それは人の致命的な欠陥とも言えるかもしれないし、人に与えられた試練とも言えるかもしれない。

ただそれは私達が何を選び取る者となるか次第で可能性の源泉になる。私達に宿る有るようでもあり無いようでもある選択という特異な力は可能性に通じている。

人以外の万物にこれほど明瞭な意識が宿されているようには見えない。あるのは偶然だ。たまたま宇宙は存在し、たまたま太陽という星が存在し、たまたま地球という惑星が存在し、たまたま生命体と我々が呼んでいる特異な存在が発生しているように見える。

その過程に選択など存在しているようには見えない。何者かの選択ではなく、自然の摂理がそうさせるだけに見える。宇宙人が人を眺めれば、人もその自然の摂理に従って存在しているように見えるだろう。しかし人に備わる自然の摂理には意識が織りなす選択が確かに存在している。

タイトルに小さな勇気の選択という言葉を使った。素直に生きることに、私達は個体差はあれ勇気を必要とする。

素直により良く生きられる選択をするのに不思議だけれど、小さな勇気を必要とする。

私達のそれぞれに宿されたより良く生きる本能に従ってより良く生きることは、エネルギーを消耗する。そのエネルギーの消耗に小さな勇気が必要になる。そんなことにわざわざ抵抗感が湧くこと自体が、ある意味では致命的な欠陥とも言える。しかしながら、そうであるからこそ人は達成感を感じることが出来るとも言える。

嫌々やらされることではなく、私自身に素直になって、選びたい自分の選択に向かう時にさえも、エネルギーを節約すべく楽を選びたい自分がいる。生存の為のエネルギーの確保が難しい時代に備わった本能だ。

だから一歩踏み出すときにはいつも選び取る意志の力を必要とする。私の目指すより良く生きる環境を構築する一歩一歩に意志の力を必要とする。誰かの役に立とうとする時、より多くを望めば望むほど、考え抜くエネルギーを要し、行動していくエネルギーを必要とするから、本能に組み込まれた節約魂が抵抗する。より楽ではない選択をすることに、小さな勇気が必要なのだ。

ただ小さな勇気で良い。少し腹を括れれば良い。諦めそうになる自分をぐっと抑え込めば良いだけのこと。

ただ小さな勇気の選択を今に組み込まなければ始まらない。日々にその選択を織り込まなければ始まらない。

楽な道に幸福は届けられはしない。楽だとしたら、誰かがその分の苦労を買ってくれているだけのこと。誰かに与えてもらっているだけのこと。

今も私の目の前に選択がある。今日もまだ、あと一歩、考え抜いて価値ある生産に挑む選択がある。人が己に打ち克ち可能性を拓く勇気の選択を届けて行くことを実現する方法を考え抜いて形にしていくことに、今日ももう一歩、諦めずに挑む選択がある。

代表メッセージ・社史
56件

関連記事